捕鯨を守りたい日本人とそれを許さない外国人の対立。その様子を『ハーブ&ドロシー』で名を馳せたドキュメンタリー作家の佐々木芽生さんが追った映画『おくじらさま』。いがみ合う捕鯨、反捕鯨それぞれの意見を丁寧に取材しながら、佐々木芽生監督は何を思ったのか? 名を同じくする書籍上梓にあたり話を聞いた。
根深いキリスト教的自然観
―捕鯨の町・和歌山県太地町で繰り広げられている、欧米の反捕鯨活動団体との衝突。その現状に密着したドキュメンタリー映画『おくじらさま』が今年9月に公開されました。題名を同じくする本書では、その制作の背景が綴られます。
長くアメリカに住んでいると、向こうで聞こえるのは圧倒的に「反捕鯨」の声です。なぜイルカ、クジラを巡って価値観が衝突し、世界が分断して憎み合うのか、その馬鹿馬鹿しさ、悲しさというのが出発点としてありました。
当初、書籍化は考えていませんでしたが、編集者の勧めもあって撮影中から執筆を開始し、まとめました。
―太地町を取り上げた映画には、’10年にアカデミー賞を受賞した『ザ・コーヴ』があります。捕鯨側を一方的に非難する内容に違和感を持ちつつ、ドキュメンタリーは〈作家が独自の視点で事実を自由に切り貼りして、言いたいことを訴える表現手段〉とも述べられていますね。
ノンフィクションが著者の視点で書かれるのと同じく、ドキュメンタリー映画にも作り手の指紋がついて当たり前だと思うんです。見る人によって見え方はたくさんある。ドキュメンタリーとは、その作家が切り取った真実のひとつの面でしかないということです。
―しかし、本映画のスタンスは〈バランスを取ること〉。捕鯨側、反捕鯨側をはじめ、さまざまな人々に向き合われました。
取材をしているときは、自分の思いや考え、先入観は脇に置き、すべての取材対象者に寄り添います。まず「彼らは何を言おうとしているのか」を聞き、さらに「なぜそう言っているのか」まで踏み込む。その「なぜ」の部分を理解するのが、実はとても大事です。
それは、もしかしたら本人も気づいていないかもしれないことだから。たとえば、シーシェパードの活動家たちにとって、キリスト教的な自然観というのは当たり前すぎて意識すらしていないものだし、日本人は自然に八百万の神が宿ると考える。取材中は、その考え方がどこから来ているのかに迫るよう心がけました。
トランプ当選の裏にあるもの
―漁師たちは辛抱強く漁を続け、反対派の活動家も長期間、町に滞在し、相当な犠牲を払って抗議している。〈正義の反対は悪ではなく、別の正義〉という、引用されたボブ・ディランの歌詞そのものの状況です。
どんな国の人にとっても、追求するものは、実はひとつしかないと思うんです。それはやはり「幸せになること」。健康や平和など定義はいろいろだと思いますが、捕鯨側も反捕鯨側も、詰まるところ、海の豊かな自然を守り、資源を大事にしたいという思いは同じはずです。
なのに、その共通点には注目しないで、目の前の違いに目を奪われて対立してしまっているのは、とても残念なこと。まず、日本人の伝統に対する考え方と西洋のそれはまったく違うんです。
日本人は、古来の風習をこれからもできるだけ長く続けていくことに対して何の疑問も持ちませんが、欧米の人々は、今の時代に合わないことはやめたほうがいいと、いつも議論して検証している。いくら「伝統です」と言ったところで、「悪い伝統は改めてください」となります。結局は感情論です。
でも、太地の人にとっての捕鯨は町の誇り。彼らの存在意義に関わる、まさにアイデンティティーそのものです。問題の本質は単にクジラを獲るか獲らないかではなく、実に根深いのだと思いました。
この取材をしていなければ、私自身、大統領選でトランプが当選したことにすごく怒りを感じたと思いますが、今は当然だったと思っています。大事なのはトランプ本人ではなく、支持する人たちに何が起きているのか理解することなんです。
―取材は’10年に始まり、途中、震災を挟んで映画公開までに7年の時間を要しています。
’10年の取材だけでも映画にはなったと思いますが、それではおそらく「衝突が続いています」で終わりだった。でも、時間をかけたことで結果的に、捕鯨問題の是非だけでなく、人間同士のコミュニケーションの問題や、違う価値観を持つ人々とどう折り合いをつけていくかという、大きく普遍的なテーマを孕むことになりました。
今の世界のあり方そのものを映し出すことができ、物語が自然と熟成されたような気がしています。
執筆にあたっては、人間とクジラを巡る歴史的な考え方の変遷などを調べ直し、また、反対派から何かにつけて持ち出されるクジラ肉に含まれている水銀の問題についてもあらためて調査しました。
撮影の段階で知っていたことでも、言葉に整理してまとめるというのは、なかなか大変な作業。でも、何となくわかったつもりになっていたことが、より明確になりました。
―〈ドキュメンタリー映画制作とは、自分の心を動かすものの正体を探すために旅に出るようなもの〉と記されているのが、印象的です。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171022-00053230-gendaibiz-int
引用元: 現代ビジネス
みんなの意見
名無しさん
趣味で狩猟で動物を狩る人が、食べる為に捕鯨してるのを批判する権利はない。
名無しさん
神は他にいないと考える人たちとでは
どう話し合っても相容れないんだよ。
八百万の神を信じる私たちは幸せだと思うよ。
名無しさん
なのに欧米人が反対する理由をキリスト教的世界観の一言で片付けていいのかな。
名無しさん
名無しさん
自分もカンガルーを食べないので、カンガルー愛護運動で社内外評価が上がり、所得も増えるならやりますよ。
結局、欧米のコマーシャル体質を変えない限り無理でしょうね。
lotus
鯨は食べてはならぬ、という勝手な考え方。
森で野生動物を狩るのは遊びなのに、それは許されるのか。
日本人が鯨を捨てる部分なく大切に頂いているのは遊びではない。
名無しさん
肩透かしを食う記事が多い。
名無しさん
のいばら
名無しさん
いずれにしても米政府はシーシェパードをテロリスト指定している。ちなみに米政府もかなりリベラルであり、かつてビンラディンが「無神論者の政府」と呪ったほどだ。
反捕鯨のリベラルやツリーハガーならたくさんいるし話も聞くけど、その中にキリスト教徒が混じっているというのは聞いたことがない。もともとキリスト教では人が自然を管理すべきものと理解されているから無闇に保護だけを優先することはしないと思う。
日本もオーストラリアに出張ってカンガルーの虐殺を非難する映画でも作ればいいのかもしれないが、あまりにバカバカしすぎてやる気が起きない人のほうが多いだろう。
名無しさん
名無しさん
名無しさん
何が裏にあるのか分からなかったが、映画を見れば分かるのか?
所で捕鯨国ノルウェーはキリスト教圏かと思うが、違うのか?
名無しさん
Bamboo
名無しさん
単に感情論ってだけ?
欧米人だって昔は堂々と捕鯨してたのにね。
まあ、クジラの肉ってカツオのたたきを生臭くしたような味だからあんまり美味しくはないし、食べなくてもいいけど、「やるな」って上から目線で言われたら反論したくなるのが日本人の心情ってとこでしょうね。
名無しさん
名無しさん
主張は構わないが、根拠が宗教なら、絶対自分が正しいって証明できる人間はいないでしょ。あくまで偶像でしかないんだから。
今の時代にあったことをあえて使うんなら、それは行動による結果のみ証明できるんじゃないのかな。
名無しさん
名無しさん
名無しさん
そもそも捕鯨してるノルウェーもその欧米やん。
なんで彼らは非難されへんの?
名無しさん
庶民にとり、魚の刺身の代わりに鯨を食していた時代もあった。
日本食である刺身やお寿司、、外国では食さなかったが今ではスシは国際語になるほど海外で人気が出て来た。
捕鯨も解放すべきであると思う。
余りにも反哺乳類動物愛護団体がまかり通りすぎるのはいかがなものか?
むしろマグロの乱獲を隣国に厳重注意すべきだ。
名無しさん
早い話が自分達の利益のためにやってる
そのせいで日本近海のクジラを獲れなくなって、以前はたくさん獲れてたイワシやアジやサバが獲れなくなった
名無しさん
名無しさん
grovalgarden
その次の来日訪問で米大統領トランプ君を太地町に案内してみる?
で、どうなるかは知らない。
「おくじらさま」か。笑えた。
イゴシラズ
それはこの問題を宗教観に落とし込んで、何とか深い理由がないかと的外れな出発をしているからだと思います。
名無しさん
テロ防止方のために、クジラを理由にしたテロ集団が来なくなって良かった。
名無しさん
名無しさん
あえて捕らえて食べる必要性はと言うと捕鯨に拘るのもなと思うけど
パオパオ
名無しさん
名無しさん
さっぱり分からない。
名無しさん
記事が途中で終わってないかい?
知りたいことが何も書かれてなかったけど……
映画と書籍の宣伝だったの?
名無しさん
名無しさん
浅はかって言うんですよ。
名無しさん
むちうちがかり
名無しさん
名無しさん
名無しさん
世界的に反リベラルって考え方が台頭しだしている時代だと思う。
名無しさん
まさに御都合主義ダブルスタンダード
これがまかり通ってるって言う事実は無視なのかい
名無しさん
名無しさん
名無しさん
名無しさん
鯨がどうなろうと、奴らにとっては問題じゃない。
名無しさん
何か別の陰謀がある気がする・・・
名無しさん
名無しさん
名無しさん