核を即時に捨てなければ経済が持たない
 史上初の首脳会談開催に向けて、米朝両国が積み重ねてきた秘密の予備交渉が大詰めを迎えている。労使の賃上げ交渉に例えれば、100円玉1個をめぐる土壇場の攻防が水面下で繰り広げられている。

 本稿執筆の5月9日時点では、米朝首脳会談の日時と場所はまだ正式発表がない。発表された時点で、会談の成功は約束されたのも同然だ。北朝鮮は間違いなく「核放棄」に応じる。

 大方の専門家とメディアはこれまで「絶対に放棄しない」と断じてきた。幸いにも、この懐疑論は外れる。

 同じく、北朝鮮が非核化の過程で「時間稼ぎ」を繰り広げると予測する悲観論も外れる。

 原子炉の廃炉と化学兵器の廃棄を含めれば、技術的に10~20年を優に超す長い時間が要る。しかし、問題の核心である軍事的脅威の除去作業はずっと簡単だ。北朝鮮は保有する全ての核弾頭を早期にアメリカへ引き渡すだろう。

 懐疑論の欠点は単純だ。北朝鮮の「目的と手段」を混同する。北朝鮮の究極目標は世襲独裁体制の「生き残り」にある。核開発はそのための手段であり、核保有自体が目的なのではない。

 体制保証が果たされるのなら、核保有と核放棄は「等価」だ。トランプ政権は北朝鮮の核放棄と引き替えに体制保証を約束する。

 悲観論の欠点も単純である。北朝鮮の国力を買いかぶり過ぎだ。

 北朝鮮は表向き「段階的解決」を主張する。だが、本心ではない。むしろ段階的解決は「ありがた迷惑」だろう。下手に時間を稼げば、北朝鮮経済は死ぬ。

 北朝鮮は経済制裁に先手を打ち、核ミサイル開発に必要な資金と物資を事前に確保・備蓄してきた。だが、北朝鮮の国力では国民経済に必要な資金と物資の確保と備蓄までには手が回らない。

 この2年間ほどで北朝鮮への経済制裁は格段に強まった。これを耐え抜く政策手段は限られる。それも持続性を著しく欠く。

 公共事業による内需拡大。市場経済化(民営化)の促進による経済の効率化。家電製品などの消費熱を煽る労働意欲の向上。20隻余りの保有船舶を総動員した「瀬取り」などの密輸行為――。

 これに国内市場での中国人民元の流通放置が加わる。通貨主権を事実上放棄したのも同然の奇策だ。これが自国通貨乱発の誘惑を抑え、悪性インフレの発生を何とか防いできた。

 だが、どの対策も一定の効果は期待できるが、限界の天井は低い。財源不足、外貨不足、密輸の取り締まり強化で、必死の対抗策もついに賞味期限が切れた。

 対中貿易の激減→資材不足による国内企業所の稼働停止→賃金の遅配・欠配→地域商店の販売不振。

 この悪循環で、今年3月頃から景気が急速に腰折れした。おまけに北朝鮮の国内市場は中国人民元の流通量不足で「貧血」状態だ。中国企業の投資が止まったせいである。

改革開放でも本質は変わらず
 北朝鮮経済が、核ミサイルという病巣を一刻も早く取り除くという外科手術が必要になっている上に、窓の外には海上封鎖と軍事攻撃の暴風雨が迫っている。

 金正恩は潮時を見計らい、核放棄を決断した。

 元来、金正恩が執権当初に打ち出した、核と経済の「並進路線」の狙いには、短期と中長期の区別があった。

 核ミサイル開発は短期の生存戦略で、中長期の生存戦略は経済再建にあった。筆者は2年前、「並進路線の力点は後者の中長期的な経済再建策にある」と見立て、その上で次のように予測した(「『反中国の怪物』になった金正恩」、『Voice』2016年5月号)。

 「駆け込みで核・ミサイル実験を強行し、核弾頭開発に一定の目処を付ける。そして対話攻勢に転じて制裁局面の打開を図る」、「(核ミサイルを)押し売りして、米中両大国を天秤に掛け、経済再建の血路を切り開く算段である」と。

 その意味では、核放棄はノーベル平和賞に値する「世紀の英断」では決してない。金正恩の策略の「想定内」だ。

 金正恩は今年4月20日、労働党全体会議で核開発と経済再建の「並進路線」の総仕上げを宣言。それに代わる「新たな戦略路線」と称して「経済建設総力戦」を打ち出した。

 そこで金正恩は「国家核戦力を(執権後)5年間にもならない短期間で達成した」と自画自賛する。専門家の多くはこれを「核保有国宣言も同然」と読んで強く警戒した。だが、率直に言って誤解だ。注意深く文脈の行間を読めば、婉曲話法の「非核化宣言」である。

 金正恩は体制の生き残りを懸け、核放棄よりも困難で危険な道に踏み出す。北朝鮮式の改革開放政策だ。

 もちろん「経済建設総力路線」とは言え、金正恩が並べ立てる美辞麗句に油断は禁物だ。「恒久平和」や「平和愛好的立場」は偽物、「人民生活を画期的に高める」のも本意ではない。

 金正恩の真の狙いは経済発展を通じた「軍近代化」にある。核は捨てられても、北朝鮮主導での「南北赤化統一」の国是は捨てられない。

 鄧小平の改革開放政策を手本に、最新兵器で重武装した将来の北朝鮮軍を夢見る。中国がその道に要した40年間を、後発メリットを最大限に生かして圧縮すること。これが金正恩の稼ぎたい「時間」の正体である。

 それでも、この先10年ほどを見通せば、金正恩の率いる北朝鮮は、捲土重来の再起を期して、静かに息を潜める。その間、全方位での「平和愛好的」な外交を進める。

 経済再建のためには、経済制裁の解除だけでは不足だ。周辺諸国から経済支援を最大限に引き出し、さらに経済交流を活性化させる以外にない。当然ながら、その相手国には日本が含まれる。

正念場は軍のリストラ
 他方、北朝鮮の内政は波乱含みだ。

 全方位の平和外交は内政を緊張させる。秘密警察の「主敵」は自国民なので揺るぎはない。だが、軍隊は「仮想敵国」なしには紀律を保てない。金正恩は北朝鮮軍の仮想敵国をどこに据えるのか。当面は頭を悩ませる。

 「千年の宿敵」の中国、「百年の宿敵」の日本とアメリカ、それとも同民族の韓国か――。経済再建を最優先に据えれば、どれも差し障る。

 北朝鮮は総人口が約2400万人で、120万人の大軍を擁する。これに民兵組織を加えると200万人にもなる。兵員確保のやりくりで、北朝鮮は若者に10年間もの兵役義務を科す。

 この軍部リストラが金正恩の至上命題だ。「軍縮」(兵力削減)は先の南北首脳会談でも言及された。今後の南北交渉で主要議題のひとつとなる。本気度はともかく、北朝鮮はかつて「南北が各々10万人規模」を提案したことがある。

 大幅な兵員削減は軍部の既得権益を大きく損なう。仮想敵国を見失い、待遇に不満を持つ軍部は政情不安の火種になる。最新兵器と新規利権で軍部を宥めるのには、莫大な費用と長い時間が要る。

 それと同時に、金正恩は今後、経済的な生産性の高い年齢の若者を兵舎から追い出し、経済建設に振り向ける必要がある。とはいえ、数十万人の若者に新たな働き口を与え続けるのは難題だ。

 外国からの大規模な経済援助と直接投資の早期誘致が不可欠だ。それで間に合わないようなら、韓国や日本への海外出稼ぎを積極的に推し進めるしかない。現実的には、外国投資奨励と海外出稼ぎ容認を組み合わせることになるだろう。

 この雇用創出策に失敗すれば、民心が乱れて収拾不能の混乱を招く。

 持続的な高度経済成長で国民の旺盛な消費欲を刺激して、世襲独裁体制への不満を封じ込められるかどうか――。

 金正恩は核放棄で「外部の敵」からは体制保証を貰える。だが「内部の敵」から世襲独裁体制の安心立命を得られる保証はどこにもない。

 金正恩体制の生き残りは核放棄の後に正念場を迎える。

李 英和

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180510-00055590-gendaibiz-int&p=1