【シンガポール時事】北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は史上初となる12日の米朝首脳会談で、北朝鮮の非核化や朝鮮戦争(1950~53年)終結をめぐりトランプ米大統領との協議に臨む。

 1948年の建国以来、祖父の故金日成主席、父の故金正日総書記が国家の存亡を懸けていた対米政策の転換点となる可能性があり、「金王朝」の独裁も曲がり角を迎える。

 北朝鮮にとって米国との敵対関係は、金王朝による支配の正当性を支えると同時に安全保障上、最重要課題となってきた。

 金日成氏は朝鮮戦争の休戦後、反米主義を掲げて権力基盤の確立を目指し、路線の異なる幹部らを粛清。「主体(チュチェ)思想」と呼ばれる独特の政治イデオロギーを生み出し、自らの「個人崇拝」を進めた。50年代には核開発に着手したとされる。

 68年に北朝鮮が米情報収集艦を拿捕(だほ)する事件が発生、76年には米兵2人をおので惨殺する板門店ポプラ事件が起きた。

 反米対決のスローガンが強まる中、北朝鮮は90年代以降、核開発を体制維持の中心に据えていく。冷戦体制の崩壊を受けて旧ソ連、中国が韓国と国交を正常化し、国際的に孤立を深めたことが背景にある。

 後継者の金正日氏は90年代後半、「後ろ盾」の旧ソ連による支援が途絶え、自然災害が重なり、「苦難の行軍」と呼ばれる経済危機に見舞われる。軍事を優先する「先軍政治」を推し進め、食料不足などで死者30万人を越えても核開発を継続。90年~2000年代には「核危機」を招いて、経済援助などの見返りを得る「瀬戸際戦術」を繰り返し、核を材料に国際社会を翻弄(ほんろう)する現在のスタイルを定着させた。

 金正日氏が11年に死去すると、金正恩氏が表舞台に登場した。遊園地やスキー場などが新設され、当時を知る脱北者は、「地方の組織でも世代交代が進んだ。女性は髪を染め、スカートを短くした」と話す。

 新たな指導者の下で開放的な雰囲気が広まったものの、正恩氏は13年3月、核開発と経済建設を進める「並進路線」を発表した。核実験と弾道ミサイル発射を繰り返し、朝鮮半島情勢をめぐる緊張を再び高めた。

 昨年2月に異母兄、金正男氏が暗殺された。昨年11月には「国家核戦力完成の歴史的大業、ミサイル強国の偉業が実現した」と宣言し、自らの指導力を内外にアピールした。祖父、父から受け継いだ国家と核兵器を手に、正恩氏は12日、「金王朝」の新たな体制保証を模索する。 

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