プロ野球シーズン真っ盛り。連日連夜にわたって熱戦が繰り広げられている。そこで戦う選手の夫を支える妻を描く「プロ野球選手の妻たち」(TBSテレビ、次回は6月20日〈水〉よる7時から放送、地域によって放送時間は一部異なる)。「バース・デイ」「プロ野球戦力外通告」など、TBSのスポーツドキュメンタリーのスタッフが手掛けるドキュメンタリー番組だ。過去の放送分から、過酷なプロ野球の世界に人生を翻弄されながらも、力強く生きていく夫婦の実像を紹介しよう。

 「キダゴ」という愛称で呼ばれ、ファンに愛されていた元プロ野球選手・喜田剛(きだ・ごう)をご存じだろうか。1979年生まれ、福岡出身。福岡大学を経て2001年のドラフト会議で阪神タイガースに入団後、広島東洋カープ→オリックス・バファローズ→横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ)と、4球団を渡り歩いた。

 喜田選手は2002年に行われた第14回アジア競技大会では、日本代表チームに参加。チームの主軸として活躍し、チームの銅メダル獲得に貢献した。

■お嬢様大学の現役女子大生がプロ野球選手の妻へ

 今から約13年前、神戸のお嬢様大学に通う女子大生だった彩子さんは、人気球団・阪神タイガースのイケメン選手である喜田剛さんと出会った。共通の知人の紹介で知り合った2人。その当時、剛さんはプロ4年目で期待されていたが、結果を出せずにいた。

 そんな剛さんと彩子さんが交際を始めて8カ月後に思いもしない事態が起きる。シーズン途中に、剛さんが広島にトレードされたのだ。このとき、彩子さんは大学4年生。突然のことに驚いたものの、彼の真面目な人柄に惹かれ、なんと在学中に結婚し、夫とともに広島についていった。

 妻・彩子さんはそのときを振り返る。

 「主人がまた新しい場所で頑張れたらいいなと。一花咲かせてほしいなっていう気持ちで広島に行きました」(彩子さん)

 夫は奮起し、妻のためにも、結果を出すと誓った。すると、プロ初ホームランを打ち、さらには、重要な試合でサヨナラヒットを放つ大活躍を見せた。

 年俸は1000万円にアップ。そして、結婚2年目には、長女が誕生。彩子さんは、プロ野球選手の妻として、家庭を守り幸せを噛みしめていた。

 広島での活躍に、妻・彩子さんは周囲に感謝するとともに、この状態がずっと続けばいいと思っていた。

■妻の願いを打ち砕く、プロ野球選手の厳しい現実

 しかし、夫・剛さんは、レギュラーを取るまでには至らず広島に来て4年目、またしても、シーズン途中でオリックスへトレードされた。プロ野球選手は結果がすべて。どんなに頑張ろうと成績を残せなければ何が起きても不思議ではない。そんな厳しい現実を、妻・彩子さんは、このとき、身に沁みて感じた。

 「プロの世界はいつか終わりが来るので、そのことを踏まえた上で結婚はしていたのですが、だんだん現実的になってきて、そろそろ考えていかないといけないと思いました」(彩子さん)

 「何か、自分にできることはないのか?」

 彩子さんが考え抜き思いついたのが洋服を作り、それを売ること。とはいえ、それは簡単なことではなく、どんな服を作ればいいのか思い悩んでいたとき、1つのアイデアが、浮かびあがった。それは、ママでもおしゃれできる服だ。

 子供が大きくなるにつれ、スカートや露出の多くなる短いトップスが着られなくなるという自身の経験から思いついた。そのアイデアを実現しようと、彩子さんは、女子大生のときにやっていた読者モデルで蓄えたわずかな資金を元手に、小さな事務所を借りて1人で起業した。

 幼いわが子を背負いながら、デザインから販売まですべて、1人でこなす日々。店舗は構えずホームページを開設し、インターネットに自分が作った服をアップして販売することにした。いわゆるネット通販である。

 一方、夫・剛さんは、オリックスでも、結果を出せず3度目のトレード。今度の移籍先は、横浜だった。

 平均引退年齢が29歳のプロ野球の世界で、このとき、剛さんはすでに31歳。ここで結果を出さなければ後がない、という崖っぷちのところまで来ていた。

 しかし、横浜では、1度も1軍に上がることができず、2011年のオフに戦力外通告。それでも、野球を諦め切れず“現役を続ける”わずかな望みをかけ合同トライアウトに挑戦したが、どの球団からも声は掛からず現役引退を余儀なくされた。

野球一筋で頑張ってきた剛さんには、野球以外やりたいことなどなかった。31歳の若さで職を失った夫の、魂が抜けたような姿に、彩子さんは心を痛めた。

 「主人のことが心配でしたね。結構、自分の中に感情を閉じ込めるタイプなので、朝起きて主人がいなかったらどうしようとか考えてしまった」(彩子さん)

■「外にも出たくなかったし、人にも会いたくなかった」

 一方、剛さんは……。

 「最初の6カ月ぐらいは、ホント何もしたくなくて。外にも出たくないし、人にも会いたくなくて…ちょっと病んでいたのかな」(剛さん)

 そのとき、妻は心を鬼にした。このままでは、夫はダメになってしまう。彩子さんは夫にこう告げた。

 「1年以内に仕事が見つからなかったら離婚しましょう」

 妻が放ったこの言葉は、夫の胸に突き刺さった。彩子さんは剛さんと本当に別れようと思っていたわけではない。夫の性格上、強く言わないと分かってもらえないと思った上での行動だった。

 そんな彩子さんの想いを知った剛さんは、業種を問わず、およそ50社に、履歴書を送った。しかし、現実は厳しく、ほとんどの会社で書類選考すら通らなかった。そんな剛さんに手を差し伸べてくれたのが、あるスポーツ用品の販売代理店だった。

 「一生働ける会社に入れて、しかもそれがスポーツメーカーっていうのは、主人にとっても良かったことだし、自分の居場所を見つけられたのかなって思いました」(彩子さん)

 その会社での夫・剛さんの仕事は、現役のプロ野球選手に用具を提供すること。選手それぞれグローブの硬さの好みが違うため、一つ一つ手作業で整える。細かな要望に応えて仕上げた道具を、現役の野球選手に届けるのだ。

■どん底を救った妻は「絶対いないといけない存在」

 これまでを振り返り、夫・剛さんは、「今までの経験を活かせる仕事に就かせてもらっているのも家族の支えがあってこそ。妻は絶対いないといけない存在ですね。道をそれると導いてくれるので……」(剛さん)

 一方、妻・彩子さんもあのとき始めた「ママでもおしゃれできる服」が、同世代を中心に共感を呼び大人気になっていた。

 店舗は構えず、ネットだけで販売している彩子さん。新作ができると、みずからモデルとなり、インスタグラムでPR。人気商品は、わずか数分で完売することもある。大手のデパートから、展示会を依頼されるほどの人気ブランドに成長させた。

 プロ野球選手の妻になったお嬢様大学の女子大生は、夫をサポートしていく中で、たくましくなっていき、どん底から夫を再生させもした。

 思いもしなかった場所にたどり着いた今、彩子さんは……。

 「私自身は、夫がプロ野球選手だったときよりも今のほうが幸せです」(彩子さん)

 時に優しく、時に厳しく夫・剛さんを導いてきた、妻・彩子さん。夫婦それぞれの仕事に励みながら、2人はかつてない充実した日々を送っている。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180619-00225627-toyo-soci&p=1


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