小学校先生一家の鉄道旅行
「高速鉄道(略称:高鉄)」の列車番号G1747は、安徽省北部の蚌埠南(ぼうふみなみ)駅を始発とし、省都の合肥(ごうひ)駅を通り、湖北省と湖南省を経由して広東省の広州南駅を終点とする定期列車である。

 G1747は始発の蚌埠南駅を15時40分に発車すると、次の淮南東(わいなんひがし)駅を経て、16時24分に合肥駅に到着し、合肥駅で20分間停車した後の16時44分に発車する。その後は一路南下して12カ所の途中駅を経て23時43分に終点の広州南駅に到着するのである

 1年前の2018年1月5日、合肥市盧陽区に所在する「永紅路小学校」の指導課副主任である羅海麗(らかいれい)は、翌6日に広州市で行われるスポーツの試合に参加する小学校高学年の娘に夫婦で付き添い、親子3人で合肥駅発16時44分のG1747に乗って広州南駅へ向かう予定だった。

 ところが、合肥駅へ向かうために乗ったタクシーが道を間違え、合肥駅に着いた時にはG1747の発車2分前だった。そこで彼女は娘と一緒に改札口へ走り、まだ開いていた改札口を一気に通り抜けて、G1747が停車するホームへ走り下りた。

 夫はタクシー料金を支払った後に荷物を持って彼ら2人を追いかけたはずだが、列車の乗降口で待っていても後から来るべき夫は来ない。G1747の発車を知らせるベルは鳴り響いたが、羅海麗は夫が来るまでドアを開けておこうと考えて、身体を突っかい棒にしてドアが閉まるのを防いでいた。

 G1747の発車時間が迫って改札口が閉められたため、恐らく夫は改札口で足止めを食っていると思われたので、夫に「急いでホームへ降りて」と電話を入れたが、夫は改札口が閉まっていて入場できないと答えるだけだった。

 丁度そこに閉まっていないドアを見つけた駅員が急行して、彼女にドアを速やかに閉めるよう要請したので、改札口からホームまでは10秒あれば下りられるから、改札口へ連絡して足止めを食っている夫を入場させて欲しいと依頼したが、駅員は全く取り合おうとしなかった。

 そうこうするうちに、急を聞いて集まった数人の駅員と鉄道警察官が羅海麗に向かって「これは高速鉄道であり、多くの人があんたを待っている。乗るなら乗る、降りるなら降りる、どちらか決めてくれ」と説得を続けたが、羅海麗は全く聞く耳を持たなかった。

 仕方なく、駅員と鉄道公安官たちは連れの娘を列車から下ろした上で、羅海麗を列車から引きずり下ろしたが、彼女はホームに身体を倒して踏ん張ると、脚を伸ばして閉まるドアに差し込んだ。

 これを見た駅員たちは羅海麗の脚がドアに挟まって怪我をしないようにと力を緩めたが、この隙に彼女は再び車内に半身を入れてドアが閉まらないようにした。最終的には列車長が羅海麗を強制的に列車から降ろして、彼女と娘はホームに残された。

 G1747は16時49分にドアを閉めて所定の出発時間より約6分遅れの16時50分に合肥駅を発車したのだった。なお、当時、G1747の車内には521人の乗客がいた

罪は重いが
 この事件は現場に居合わせたG1747の乗客がスマホで動画を撮影してネットに投稿したことにより世間に知られることになった。また、1月9日には中国国営の「中央テレビ(CCTV)」がニュース番組で取り上げて当該動画を放映したことで全国的に知られることになった。

 1月5日のG1747発車後に合肥駅の事務室で事情聴取を受けた羅海麗は、「G1747の発車時刻が迫ったので、改札口は閉鎖されたのかもしれないが、夫を入場させてくれてさえいれば、夫はわずか10秒でホームへ下りてG1747に乗れたはずで、親子3人で予定通り本日中に広州市へ到着できたのに」と、興奮醒めならぬ様子で合肥駅の扱いに不満を述べていたという。

 一方、CCTVは羅海麗が高速列車を自家用の乗り物と勘違いし、公共の交通機関であるという認識を欠いていたことが問題であると述べて厳しく批判したのだった。

 上述したように、羅海麗がドアの閉じるのを妨害したことによって、合肥駅でG1747の発車は約6分間遅れた。

 わずか6分間と思うかもしれないが、それは時速200kmで走る高速鉄道なら20km、時速350kmなら35km近い距離を走行できる時間である。高速鉄道の運行時間がたった6分間遅れただけでも、運転指令所の職員は運行管理システムを使って列車ダイヤの変更や修正を行うという煩雑な作業を余儀なくされる。

 何事もなかったから良かったものの、衝突や脱線などという事故に繋がっていれば一大事であった。したがって、羅海麗が安易に行った列車の運行妨害は重大な犯罪行為ということになるである。

 2018年1月10日、合肥鉄道公安局は通達を発表して次のように報じた。

 すなわち、1月5日に合肥駅で高速鉄道の運行を妨害した乗客の羅某は、1月10日午前中に合肥駅派出所へ出頭して自身の過失を認めた。羅某が犯した行為は、違法に列車の運行を妨害して鉄道輸送を遮断し、鉄道駅と列車の正常な秩序を混乱させたもので、『鉄道安全管理条例』第77条規定の禁止行為に該当する。このため、羅某は同条例第95条の規定「個人に対しては500元以上2000元以下の罰金に処す」に基づき、上限である2000元(約3万3000円)の罰金に処せられた。

先生は納得できない
 このニュースが報じられると、中国メディアの記者が羅某の個人情報を追究し、羅某の本名は羅海麗であり、合肥市盧陽区に所在する永紅路小学校の指導課副主任であることを確認した。同時に、彼女が教員歴11年の国語の上級教員であり、2010年には盧陽区の“徳育模範(道徳教育の模範教員)”、2011年には盧陽区の優秀クラス主任に選ばれていたことを確認したのだった。

 さらにメディアが報じたところによれば、合肥鉄道公安局が羅海麗の処罰を発表した前日の1月9日に、羅海麗を管轄する盧陽区教育体育局は同局党委員会の会議を開催し、1月5日にG1747の運行妨害を行った当事者である羅海麗を直ちに停職・反省の処分とし、同時に盧陽区の教員全体に対しその道徳性に警鐘を鳴らし、類似現象の再発防止を厳命したという。

 ところが、停職・反省の処分を受けた羅海麗は即座に反発して次のように述べたという。

 「学校は何を根拠に私を停職にするのか。私の授業に間違いがあったとでもいうのか。もし、私が公共秩序を混乱させたからだ言うのであれば、私はすでに警察から警告と批判を受けている。私が鉄道駅で間違いを犯したからと言って、どうして私の職場が関係のない処罰を私に与えるのか、私には理解できない」。

 盧陽区教育体育局は2010年に盧陽区の“徳育模範”に選出された経歴を持つ教員である羅海麗が、身勝手な理由で不道徳極まりない遅延行為を行って高速鉄道の円滑な運行を妨げたことが、学童に道徳教育を行う立場の教員としては由々しき問題であると判断したからこそ、羅海麗を停職・反省の処分にしたのだ。

 だが、それを素直に納得できないのが、とかく「独り善がり」の傾向を持つ中国国民の特性なのである。羅海麗にしても頭では道徳とはいかなるものかを十分に理解しているはずだが、自己の利害得失に関わる話になると、公共的な視点を忘れて、自己の利益を最優先とする行動を取るのである。

中国交通機関が抱える恐怖
 前置きが長くなった。中国で人の往来が最も激しいのは“春節(旧正月)”で、老いも若きも他郷で暮らす人々は遠路を厭わず、群をなして故郷へ戻り、家族団欒の時を過ごす。そうした人々が故郷へ戻り、故郷から他郷へ帰るまでが春節輸送期間である。今年の春節の元旦は2月5日であり、中国の春節休暇は2月4日から10日までの7日間となっている。

 2018年12月27日、中国政府の国家発展改革委員会、交通運輸部、公安部など9部門は連名で、『2019年の春節運輸業務を全力で遂行することに関する意見』を発表した。これは毎年年末に翌年の春節輸送業務に関して発表される恒例の文書である。

 同文書によれば、中国政府が設定した2019年の春節輸送期間は1月21日から3月1日までの40日間であり、春節輸送期間中の全国旅客量は延べ29.9億人で、前年比0.6%の増大と予想される。そのうち、道路が延べ24.6億人で前年比0.8%の減少、鉄道が延べ4.13億人で8.3%の増大、航空が延べ7300万人で12%の増大、水運が延べ4300万人で横ばいと予想されている。

 上述したように2018年は1月早々に高速鉄道の合肥駅で身勝手な女性旅客による列車ドアの閉鎖妨害が発生して世間を騒がせたと思ったら、8月には高速鉄道で身勝手な乗客による指定席の“覇座(座席占領)”が発生し、それがメディアで報じられたことにより模倣犯による“覇座”が各地で頻発する騒ぎとなった。

 また、10月には重慶市で下車する予定の停留所を乗り越して激高したバスの乗客が、橋の上で運転手が握るハンドルを奪う暴挙に出て、バスは60m下の長江へ墜落し、運転手を含む乗員15人全員が死亡した。

 こうした“公交車(公共バス)”や路線バスの乗客によって発生する騒動を中国語で“車閙(しゃどう)”と呼ぶが、車閙はその後も各地で頻発している。さらに、“飛機(飛行機)”でも中国語で“機閙(きどう)”と呼ぶ乗客による騒動が各地で頻発しており、中国民用航空局は2018年5月から9種類の機閙を引き起こした乗客に対し1年間の飛行機利用禁止を規定した罰則を実施している。

 2018年に中国各地で頻発した“覇座”、“車閙”、“機閙”などの違法で社会的信用を失墜する公衆道徳に反する行為は、社会の広範な注目と、メディアの有効な監督を受け、一部の懲罰的な事例が大きく報じられたことで、明らかに減少しつつあるという。

 全国の鉄道公安機関は2019年の春節運輸業務の障害を少しでも取り除くべく、2018年12月初旬から“覇座”、ドアの閉鎖妨害、ホームへの強行入場などの不法行為に対する一斉取締りを約1カ月間実施した。この結果、2856件の各種の違法な秩序かく乱行為が摘発され、“覇座”などの駅や車両の秩序をかく乱した行為により452人が行政拘留(5~10日間)の処分を受けた。

 さて、文頭で紹介した羅海麗の事例を通じて、中国国民は独善的な性向が強く、自己の利害得失に関わる問題になると、公的な視点を忘れて、自己の利益を最優先とする行動を取ると述べた。

 ただし、中国国民の全てが羅海麗と同様に公的な視点を忘れて、自己利益を最優先とする訳ではなく、ほんの一部の跳ね返りが公衆道徳や社会規範を無視して、欲望のままに行動しているのである。この点はくれぐれも誤解なきよう願いたい。
中国人には強烈な罰が有効
 そこで問題である。中国から“覇座”、“車閙”、“機閙”などの違法行為を撲滅するにはどうしたらよいのか。

 春節運輸期間の開始が目前に迫った2019年1月8日、中国の“最高人民法院(最高裁判所)”、“最高人民検察院”、“公安部”の3者は連名で『公共交通機関の安全運転を妨害する違法犯罪行為を法に照らして処罰することに関する指導意見』という文書を公布した。

 この文書は中国社会で大きな問題として注目されている“覇座”、“車閙”、“機閙”などの違法行為に対して法に照らして厳しい処罰を行う旨を明確に宣言したものであった。また、その宛先は一級行政区(省・自治区・直轄市)の“高級人民法院”、“高級人民検察院”、“公安庁”で、全国の関係部門に対し違法行為取締りの発破を掛けたものだった。

 ところで、シンガポールで路上にゴミが落ちていないのは何故か。その理由は路上にゴミを捨てたら高額な罰金を徴収されるからである。華人国家であるシンガポールの建国当時は今から想像できない程に道路はゴミで溢れていたというが、高額な罰金制度を導入したことによってゴミは路上から一掃されたのである。

 シンガポール初代首相であったリー・クアンユー(李光耀)は客家系華人の4世であり、中国人の性格を熟知していたからこそ、ゴミを一掃するために高額な罰金制度を導入したのだった。中国人に規則を遵守させるために最適な方法は高額な罰金なのである。

 しかし、それ以上に効果的な違法行為の抑制策が中国では実施されているのである。公共交通機関内で違法犯罪行為を行った者は、当該主管部門で“失信人(信用失墜者)”として登録される。2019年1月時点における信用失墜者の数は、中国民用航空局で4209人、鉄道総公司で1793人に及んでいる。

 これらの信用失墜者に対しては公安部による各種処罰の他に、飛行機や列車の搭乗が一定期間制限され、これと同時に犯罪行為の内容が個人の信用記録に明記され、ネットの「信用中国」などの信用関連サイト上で社会に公開されている。

 要するにこれは、前科者のリストが公開されるのに等しく、“覇座”、“車閙”、“機閙”などの行為を行った信用失墜者のブラックリストを公表することによって、当事者に犯罪行為を行ったことによる深刻な結果を認識させるのである。これは当事者に自身の犯した行為を後悔させる作用を持ち、高額な罰金以上の効果が期待できるのである。

 社会の統制を強化している中国では、英国の作家ジョージ・オーウェルが1949年に発表した小説「1984年」の中で描いたような全体主義的な管理体制が整備されつつある。信用失墜者の個人情報は全く保護されることなく、当然のように社会に晒されているのが実情である。

 40日間となる2019年の春節輸送期間は1月21日からすでに始まっている。春節元旦の2月5日は目前に迫っているし、7日間の連休となる春節休暇は2月4日から始まろうとしている。

 全国で延べ29.2億人もの旅行客が移動を行う春節輸送期間に、中国政府が撲滅を狙う“覇座”、“車閙”、“機閙”などの違法行為が発生しないという保証はないが、国家を挙げて対策を講じた結果として、発生件数は大幅に減少するものと予想される。

 自己の利益を考えて行う“覇座”、“車閙”、“機閙”などの違法行為と引き比べて、中国社会で信用失墜者として登録されないことで受ける利益の方が大きいことは自明の理なのである。

北村 豊

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190206-00059699-gendaibiz-int&p=5


PDF