「当機構におきましては」「看過するわけにはいかない」のような“自らに正義アリ”と思わせるフレーズは、世間の人々を身構えさせてしまうもの。本来、テレビや大手企業などの巨大組織に申し入れをすることは、「よく言った」と称えられる可能性が高いのですが、そこに正義感をまとわせてしまうと、「独り善がり」「存在意義をアピールしたいだけ」と批判につながってしまうのです。

 加えて、申し入れ書には「近年のテレビ・映画などにおいては、過去の時代の再現においても、当時では日常的であったが、現代では、職業・身体・民族等への差別などと受けとられる語句・表現は、使用されなくなり、別の表現に置き換えられるようになっています」「今は国会で受動喫煙防止法が成立したように、喫煙はしても、人にタバコの煙を吸わせてはいけないということが、世界中の常識です」という自らの正義を裏づけるためのような記述がありました。今回の申し入れ書は、「自らの正義をアピールするほど、人々の心は離れていく」というビジネスセオリーから、かけ離れていたのです。

 自尊心の高さは、結びの2文にも表れていました。今回の申し入れは突然のものだったにもかかわらず、「※ご回答は本文書到着した後、1週間以内にお願いします」と期限を設定した上で、「※ご回答内容は、公開の予定です」と脅しのような言葉で締めくくられていたのです。

 どれほど抗議したい気持ちがあったとしても、ネットの普及で衆目環視となった現代のビジネスシーンでは、「相手への尊重がない」「一方的に決め付ける」のはNG。それは「自分は正義、相手は悪」という決め付けの証しとみなされ、批判につながってしまうのです。

 同法人のホームページトップには、「思いやりの心を育んでいこう」と書かれていました。今回の件は、「一生懸命やっているからこそ、使命感があるからこそ」の申し入れだったことは想像に難くありません。しかし、受動喫煙をなくすために思いやりの心を持つのも、ドラマ制作者の立場や意図を思いやることも同じではないでしょうか。

 今回の申し入れに批判が集まっているだけで、同法人の理念については多くの人々が賛同するでしょう。だからこそ同法人には、いち放送局とのやり取りにこだわらず、受動喫煙の被害に悩んでいる人に寄り添うような、生産性の高い活動を期待しています。

そこから前述した問題提起、危惧、要望がつづられていたのですが、多くの人々が違和感を抱いたのは、「未成年者や禁煙治療中の人たちへ悪影響を与え」「何よりも出演者・スタッフの受動喫煙被害が紛れもなく行なわれている」というフレーズ。「『ドラマを見たから未成年が喫煙に走る』わけではない」「喫煙のリスクは家族や周囲の人が伝えることで、この団体はまったく関係ない」「出演者やスタッフは望んで現場にいるだろう」などの声が上がりました。

 「そこまでドラマで影響されるほど自分たちはバカじゃない」「見るも見ないも、自分たちの自由」と言いたいのでしょう。今回、同法人が批判を浴びた最大の理由は、「自らの活動を進めるために、世間の人々を見くびるようなフレーズを使ってしまった」からなのです。

 見くびられた世間の人々は、さらなる批判を展開。しかもそれは、「当時の喫煙は普通の光景。風情や感情を忠実に再現して何が悪いのか」「受動喫煙が当たり前だった様子を見て、『いい時代になったな』と感じればいいだけの話。感覚がひねくれている」「これくらいでダメなら刑事ドラマの銃所持や時代劇の帯刀もダメになる」と理にかなったものだったのです。

 事実、「いだてん」が喫煙者を描いているのは、「タバコは当時のムードを醸し出す」という文化的な意味合いに相違ありません。「当時に思いをはせて見てほしい」のであり、「今では見られない」からこそ、あえて描くことで視聴者を楽しませようとしているのです。

■「自らに正義アリ」の自尊心が仇に

 次に、隠し切れない自尊心の高さを思わせるフレーズも、世間の人々を敵に回してしまった一因と言えるでしょう。

 申し入れ書には、「全国の受動喫煙被害を撲滅する活動を行う当機構におきましては、時代に逆行し受動喫煙被害の容認を助長する恐れのある貴局同作品の表現は看過するわけにはいきませんので、以下に要望を提示させていただきます」とありました。

■過去にもあったドラマへの猛抗議

 古くから、誰でも無料で気軽に見られるテレビドラマには、PTAを筆頭にさまざまな団体からの抗議や申し入れが少なくありませんでした。ここ最近の5年間でも、いくつかの事例が見られます。

 2014年の「明日、ママがいない」(日本テレビ系)には、「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」を設置する慈恵病院(熊本市)が「養護施設の子どもや職員への誤解、偏見を与える」として放送中止を申し入れたほか、全国児童養護施設協議会や全国里親会なども猛抗議。世間の人々も非難の声を上げたほか、スポンサーがCMを自粛するなどのダメージを受け、児童養護施設の描き方をマイルドにすることでなんとか最終回にたどり着きました。

 2016年の「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」(フジテレビ系)には、日本介護福祉士会が「ヒロインが介護施設で過酷な労働環境と労働条件を強いられ、ハラスメントをされている」などの意見書を送付。しかし、世間の人々が同会に「実際の労働問題を隠蔽しようとしている」などの批判を寄せたことで、フジテレビは「監修も取材も十分しているため、貴重な意見として参考にさせていただく」と受け流して終結させました。

 昨年放送された「ブラックペアン」(TBS系)には、日本臨床薬理学会が「治験コーディネーターの描写が実際の仕事とは異なる」と抗議。しかも、「現場で努力する人々の心を折り、侮辱する」「フィクションとはいえ患者に不信感を与える内容であり、臨床試験に今後協力してもらえなくなる」という危機感に満ちたものだったのです。しかし、人々の反応は、「認知度の低い職業でここまで現実と違うのはひどい」と「しょせんフィクション前提のドラマ。本気で信じる人なんているのか」の両論であり、ゆるやかに収束していきました。

 3つの事案から、制作サイドと各団体の2者だけでなく、人々の影響力が大きくなっている様子がわかるのではないでしょうか。「ネットの発達・浸透によって発言の場を得た世間の人々を味方につけられるか」が重要な時代となっているのです。

 気をつけなければいけないのは、「どんなに正しいと思っていることでも、伝え方次第で、申し入れや批判をした側がブーメランとなってたたかれる」というリスクが増していること。とくに各団体の要職に就く人は、「言動に世間の空気を読む冷静さが求められている」とともに、「申し入れや抗議の際は、どのような伝え方なら人々の理解を得られるか」を考えなければいけないのです。

■安易な批判が「ドラマの有料化」を進める

 最後にドラマを取り巻く、難しい状況を挙げておきましょう。

 地上波での放送は、公共性に基づく視聴者やスポンサーへの配慮が求められ、新たなことやタブーに切り込んだ見応えのあるドラマを手掛けるには、「挑戦しよう」という勇気が必要。しかし、SNSの発達で個人批判にさらされやすく、なかには「スポンサーの不買運動をしよう」という脅しのようなものもあり、制作サイドは苦しい立場を強いられています。

 もしこのまま個人や各団体が申し入れや抗議の声を上げ続けたら、制作サイドは挑戦することなく無難なドラマを作ろうとするでしょう。実際、近年では中高年層をメインターゲットにした一話完結の事件ドラマが過半数を占めるようになりつつあります。

 この状況が進めば、地上波のドラマが「気軽にサラッと見られる無難なもの」ばかりになり、「新しいことやタブーに切り込んだ見応えのあるドラマは、動画配信サービスやCSなどの有料コンテンツでしか見られない」という状況になりかねません。

 無料で見られるドラマの多様性を守っていくためには、個人も各団体も「ドラマはフィクションであり、嫌なら見なければいいというだけのこと」とみなし、できるだけ「批判の声を上げない」という姿勢でいたいところです。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190228-00268259-toyo-soci&p=1


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