【AFP=時事】ショックと無力感でただ見つめるしかないパリっ子と観光客の目の前で、ノートルダム寺院(Notre Dame Cathedral)の尖塔は焼け落ちた…15日、大規模な火災に見舞われた同寺院は多くの人々に愛されてきたが、実は数世紀にわたって放置されていたと、ある歴史学者が指摘する。

中世史を専門とするフランス人歴史学者で、12世紀ゴシック建築の傑作であるノートルダム寺院に関する著作もあるクロード・ゴバール(Claude Gauvard)氏はAFPの取材に対し、同寺院の文化的な重要性はどれほど強調しても強調し過ぎることはないが、この建築物は歴史上、常に適切に扱われてきたわけではないと語る。

 ゴバール氏は「ノートルダムはパリの象徴であり、平和や連帯感、調和の象徴だ…そして、パリという街の特別な場所を占めている」と表現する。

 ノートルダム寺院はまた「ゼロ地点」でもある。フランスの首都から他の都市への距離はすべてここを基点に測定されている。

■復活は19世紀
 しかし、「ルネサンス期と18世紀にはどちらも、寺院は非常に傷んだ状態だった。国王の天蓋(てんがい)を通すために正面入り口をたたき壊すことだっていとわなかったほどだ」とゴバール氏は言う。「ゴシック建築として正当に評価され、修復されるには19世紀のプロスペル・メリメ(Prosper Merimee)やビクトル・ユゴー(Victor Hugo)といった作家たちや、ビオレ・ル・デュク(Viollet-le-Duc)やジャン・バティスト・ラシュス(Jean-Baptiste Lassus)といった建築家たちの仕事を必要とした」

 また、メンテナンスも十分でなかったとゴバール氏は指摘する。「ようやく現在進行中の修復作業が始まったといった具合だ。当然修復すべき時期だし、少々遅すぎた感もある」。同氏は修復開始前に尖塔の下を訪ねた。「一部のれんがはばらばらに崩れていて、落下しないように格子で保持してあった」

今回の火災後の修復は可能かと尋ねると、ゴバール氏は「尖塔が焼け落ちたことは実はそれほど深刻ではない。ビオレ・ル・デュクの修復設計図に従って再建すればいい」と述べた。

 ビオレ・ル・デュクがいなければ、ノートルダム寺院はもはや存在していなかっただろうとゴバール氏は述べる。「1792年に──と言ってもフランス革命とは無関係なのだが──崩壊した尖塔を再建したのは彼だ」

「しかし、この寺院の『森』、つまり屋根を支えていた巨大な木製の構造体が失われているだろう。これが私の危惧するところだ」

 さらにゴバール氏は、立場が異なる複数の機関がノートルダム寺院を管轄しているために修復問題が複雑化したのと同様に、再建が阻まれる可能性を懸念する。「再建費用は高額になるだろう。フランス全国、さらには外国からも修復のための寄付が集まってくれたらと願う」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190416-00000025-jij_afp-int&p=2


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