海外で犯罪やテロに巻き込まれた被害者や家族が十分な補償を受けられずにいる。グローバル化に伴い渡航者が増え続ける今、救済制度のあり方が問われている。ノンフィクションライターの水谷竹秀氏がリポートする。

 その一報が入ったのは、職場のオフィスにいた時だった。

「娘さんが事件に遭われました。ご本人に間違いないと思われますので、ご確認頂けますでしょうか」

 電話の相手は在タイ日本国大使館の担当者。渡航先での娘の死を知らされた大阪市在住の川下康明(かわしたやすあき)さん(71)は、当時の心境をこう振り返る。

「全身の力が抜け、椅子から崩れ落ちそうになりました。娘はメールで『タイの人はめっちゃいい人』と記していたから、微笑みの国だと思っていた。頭が真っ白になったことを覚えています」

 娘の智子さん(当時27)が、事件に巻き込まれたのは2007年11月25日。旅行中、タイ北部のスコータイにある国立歴史公園で、何者かに刃物で首を刺され、命を落とした。

 智子さんは、大阪を拠点に活動する劇団「空晴(からっぱれ)」のメンバーだった。その旗揚げ公演が終わった直後に1人でタイを訪れ、被害に遭った。タイの国家警察による捜査などは実を結ばず、発生から11年が経過した今も犯人は捕まっていない。

「事件を風化させたくないので、これまで劇団の仲間や友人たちとともにタイに足を運んできました。タイは時効が20年と聞いていますので、折り返し地点を過ぎてしまった今、早期解決への思いはより一層強まっています」

 今年1月14日、川下さんは妻と一緒に、智子さんが命を落としたスコータイの現場に赴いた。タイ政府高官や在タイ日本国大使館の職員、メディア関係者らに見守られるなか、慰霊の石碑に白菊を手向け、祈りを捧げた。事件発生から約10回、毎年のようにこの地に足を運んでいる。智子さんが旅行中に訪れた飲食店や土産物屋なども劇団仲間らとともに探して歩き、滞在中にその足跡をたどる旅を続けてきた。

「智子が乗った象も見つけることができ、みんなで写真に納まりました」

●テロ発生国からの支援なし各国で対応にばらつき

これまでタイに赴くと、在タイ日本国大使館の調整で、副首相や法務大臣などの関係閣僚や、国家警察幹部にも面会し、事件の早期解決を訴えてきた。面会の実現に当たっては、手紙を日本語でしたため、同大使館に翻訳を依頼してきた。

「激務の中で、申し訳ないと思いながら、毎回頼んでいた。タイ政府から届いた文書がタイ語や英語だったため、知人に翻訳をお願いしたこともあります。言葉の問題で大変な思いをしないように、通訳や翻訳の支援をしてくれる専門機関を設置してほしい」

 海外で犯罪に巻き込まれた人の遺族で、その後も捜査の進展がなかったり、言葉の壁にぶつかったりと、対応に苦慮している川下さんのような人は少なくない。

 外務省によると、海外で犯罪に遭った日本人の数は、最新の統計がある17年から過去10年をさかのぼると、年4400人から6千人の間を推移している。決してひとごとではないと感じる数字だ。

 17年の被害の内訳を見ると、窃盗が3813人と最も多く、詐欺332人、強盗・強奪287人、傷害・暴行91人と続く。殺人事件に巻き込まれ死亡した被害者は9人おり、10年間の総数は122人にのぼる。テロの被害者は17年にはいなかったが、過去10年間で死者は24人に及ぶ。

 今年4月21日、スリランカの最大都市コロンボなどで死者約250人以上を出した連続爆破テロ事件では、日本人女性の高橋香さん(当時39)が犠牲になった。高橋さんは、日本人の夫と子ども2人の一家4人でコロンボに暮らしていた。事件当日は、ホテルで朝食を取っていた際に爆発に巻き込まれたとみられ、一緒にいた夫と子どもも負傷した。

 発生から4日後の4月25日朝、高橋さんの遺体と家族を乗せた飛行機が成田空港に到着した。

 スリランカ政府は、犠牲者に100万ルピー(約62万円)、葬儀費用に10万ルピー(約6万2千円)をそれぞれ支払うと表明。だが、高橋さんの遺族への支援について、在日スリランカ大使館の担当者に問い合わせると、「外国人は支給の対象外。外国人が犯罪に巻き込まれた際の公的な補償制度も特にない」と回答した。同政府からの公的な支援はないことが明らかになった。

米国やフランス、ドイツなどでは、犯罪に巻き込まれた被害者や遺族に補償金を支給する制度が設けられ、外国人も対象だ。たとえば、01年米同時多発テロで死亡した日本人被害者の遺族には米政府から補償金が支払われた。

 12年8月にルーマニアで殺害された大学生の益野友利香さん(当時20)は、首都ブカレスト郊外の空港に到着した後、20代の男に声をかけられ、タクシーに同乗。近くの森で絞殺された。海外インターンシップの一環として、日本語を教える目的でルーマニア入りした直後のことだ。益野さんは2カ月間の短期滞在だったため、ビザなしで入国し、「観光客」扱いだった。

 男は益野さんら3人の女性を殺害した罪で翌年、終身刑が確定。同国の補償制度は外国人も対象に含まれるが、観光客は対象外で、益野さんの遺族には適用されなかった。

 日本では、海外で犯罪に巻き込まれた被害者や遺族の救済が遅れ、長年、蚊帳の外に置かれてきた。米同時多発テロの直後、国会で被害者の遺族支援について質問があり、当時の小泉純一郎首相は「国家が補償する制度は現在、存在しておりません」と回答。以来、テロ被害者家族の有志は、海外での犯罪被害者の補償について検討するよう、国会議員や関係省庁に申し入れてきた。

 道が開けたきっかけは、13年2月に日本人3人が犠牲になった米領グアムの無差別殺傷事件だ。死亡した横田仁志さん(当時51)の高校の同級生が、海外で犯罪に遭った被害者の支援を求めて法整備を訴えた。

 16年6月、国外犯罪被害弔慰金支給法が成立。海外で犯罪に巻き込まれた被害者や遺族に見舞金を支払う「国外犯罪被害弔慰金等支給制度」が生まれ、死亡時には一律200万円、重度の障害を負った場合は一律100万円が支給されることになった。この法律が施行された同年11月30日以降に発生した、テロを含む事件が対象だ。

●国内外で救済額に格差、遺族からは「不公平」の声

 一方、国内で起きた犯罪の被害者や遺族を救済する「犯罪被害給付制度」は、1974年の三菱重工ビル爆破事件などを契機に議論が湧き起こり、81年に始まった。

日本の船舶や航空機内で起きた犯罪も含まれ、短期滞在でも「居住」とみなされれば外国人も対象になる。支給額は18万円から約4千万円と幅があり、警察庁によると、17年度の同給付金の平均裁定額は約628万円で、最高支給額は約2970万円だった。

 海外で犯罪に巻き込まれた際に支払われる弔慰金200万円を大きく上回り、事件の発生場所が国内か海外かによって、支払われる額に「格差」が生じている。こうした状況から、海外で被害に遭った人の遺族からは「不公平だ」と指摘する声が上がっている。

 警察庁給与厚生課によると、国内で起きた犯罪被害者の救済制度については、日本政府が治安維持に責任を負っているという観点から国税で賄われているが、海外の治安維持については当事国の責任によるため、同等に扱うことが難しいという。

 加えて海外の場合は、捜査権限が当事国の捜査機関にあり、資料も日本側に提供されない。このため犯罪被害の事実認定が難しく、一律の見舞金として支給しているという。

 遺体の搬送費用という問題もある。外務省は負担しないため、被害者が保険に加入していなければ、遺族の自己負担だ。海外から日本への医療搬送を支援する特定非営利活動法人「海外医療情報センター」によると、遺体の搬送費用はアジア圏内で約180万円、欧米からの搬送は約220万円かかるという。同センターの担当者は語る。

「空港が近くにない場合は、現地での移送費も必要です。島からカヌーのようなもので遺体を運んだこともありました。また、現地警察による捜査が長引き、遺体がいつ返還されるのか分からず、遺族が戸惑ったこともあります」

●自費でタイへ巡礼の旅、「お金と体力が続く限りは」

 冒頭の川下さんは娘を亡くして以来、約10回タイに赴いたが、渡航費や宿泊費はすべて自己負担だ。1回の渡航で1人当たり少なくとも15万円はかかり、これまで費やした総額は、約400万円に上る。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190627-00000022-sasahi-soci&p=4


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