「北朝鮮の実像なんて知らなかったんですよ」

 何の気負いもなく、当然のことのように穏やかな言葉が返ってきた。私は一瞬、どう問い返すべきか戸惑った。【外信部長・澤田克己】

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 1980年代後半の韓国学生運動を席巻した大派閥「主体思想派」の創設者で、リーダーだった金永煥(キム・ヨンファン)氏。かつて「鋼鉄」という別名で知られた男性は、そんな雰囲気などみじんも感じさせない穏やかな表情で私に人懐こい笑顔を見せていた。オフィスと住宅が混在するソウル市内の地下鉄駅近くにあるコーヒーチェーン店の2階で平日の昼下がりに向き合った元闘士は、間違っても周囲の注意をひきつけることなどない平凡な中年男性に見えた。

 主体思想派の全盛期だった89年、ソウルへ語学留学した学生時代の私は主体思想派のニュースを見るたびに首をひねっていた。主体思想は、北朝鮮の金日成独裁体制を正当化するための理論である。当時の韓国はまだ先進国水準には遠かったけれど、それでも経済成長にわく活気あふれる社会だったし、2年前に民主化も実現していた。だから、素直に「なんで北朝鮮なんかにあこがれるのだろう」と不思議に思ったのだ。

 しばらく忘れていた疑問を思い出したのは、当時の学生運動リーダーたちが文在寅政権の中核を占めているからだ。文政権は一部の保守派から「主体思想派の政権だ」と攻撃されている。53年生まれの文在寅大統領自身は世代的に違うのだが、周辺に布陣する主体思想派出身者が権勢を振るっているとされる。

 だから、「主体思想派のゴッドファーザー」と呼ばれる金氏に話を聞いてみたくなった。金氏は90年代初めに平壌へ密航して金日成と面会した後、北朝鮮の現実に失望して思想転向し、今度は一転して北朝鮮の民主化を目指す活動家となった。そのための地下活動をしていた中国で2012年に長期拘束され、拷問を受けたことで外交問題になったこともある。「鋼鉄」というのは学生運動をしていた時のペンネームだが、外見とは裏腹に現在も鋼のような精神を維持しているのだろう。

 そして、なぜ「北朝鮮にあこがれたのか」という私の問いへの答えが、冒頭に紹介した「北朝鮮の実像なんて知らなかった」である。金氏はさらに「当時は情報統制が厳しかった。北朝鮮だけじゃない、ソ連や中国の社会についても情報は何もなかった。純粋に、理論として主体思想はいいものだと考えたんだ」と続けた。学生運動の中でマルクスやレーニン、従属理論などさまざまな思想を勉強したけれど違和感が残り、最後にたどりついたのが主体思想だったのだ、と。当時の韓国では禁書だったが、特例として閲覧を許されていた研究者にコピーしてもらうなどの方法で主体思想を学んだという。

 そこまで聞いて私は納得した。金氏がソウル大法学部に入学したのは1982年。当時は冷戦のまっただ中で、韓国では北朝鮮を敵とする厳しい反共教育が行われていた。冷戦体制下の韓国は東西対立の最前線に位置づけられており、ソ連や中国をはじめとする社会主義諸国とは国交すらなかった。北朝鮮に関する情報が一般に解禁されたのは、98年に金大中政権が発足してからのことだ。

 そして主体思想は、ソ連と中国という社会主義圏の2大勢力の間で北朝鮮が生き抜いていくために作られた理論である。主体というのは、朝鮮史で対中従属の意味で使われる「事大」という言葉の反義語だ。大国の思惑に翻弄(ほんろう)されてきた歴史を背景に「自らの運命は自らが決める。そのためには強いリーダーが必要だ」という理屈で、金日成独裁を正当化した。

 大国の思惑に振り回されてきたのは韓国だって変わらない。そもそも南北分断がそうだし、日本の植民地に転落したのも日米中露という周辺大国のパワーゲームの結果である。独立を取り戻して以降にしても、日本の支配に協力した裏切り者(親日派)が政治と経済の両面で重用されてきたことは日米への従属の結果だと学生たちは考えていた。

 実際には、北朝鮮が理想郷などではないという情報は当時の韓国にもあふれていた。ただしそれは、軍事政権による反共教育の教材としてだ。社会の矛盾に怒る学生たちには、プロパガンダだとしか受け止められなかった。そうであるならば、「自らの運命は自分で決める」という考えが魅力的に見えるのは当然だろう。「韓国は当事者だ」と主張して、朝鮮半島を巡るパワーゲームの「運転席」に座ることにこだわる文大統領の考えにも通じることだ。

 金氏は85年初めに一人で主体思想を学び始めたが、その年の夏休みにはソウル大の地下サークルに40人ほどが集まるようになっていた。金氏は翌年3月、自らを「NL(National Liberation=民族解放)」と称する最初の主体思想派学生組織「救国学生連盟」を結成した。ソウル大の教室で開いた結成式に集まったのは100人余りだったという。

 金氏は同年11月に逮捕され、国家保安法違反の罪で投獄された。金氏が獄中にある間に急速に盛り上がった民主化闘争の中で、NLは「大統領直接選挙という分かりやすいスローガンを掲げてデモを主導することによって、学生運動はもちろん、社会的運動の指導層を掌握した」という。大統領直接選挙は87年12月に実現し、88年夏にはソウル五輪も開かれた。同年末に釈放された金氏は著書に「出所すると、世界は変わっていた」と記した。

 それでも金氏の主体思想信奉は変わっていなかった。金氏は出所後に北朝鮮スパイから接触を受け、北朝鮮の支配政党である朝鮮労働党に入党した。そして前述したように北朝鮮の現実に幻滅して思想転向し、現在は北朝鮮民主化を求める活動家に転じている。今では若い人たちから「当時の韓国が情報統制されていたとしても、なぜ北朝鮮を崇拝することになったのか? 到底理解できない」という質問を受けることが多いそうだ。30年前の私と同じ疑問を、現代の韓国の若者たちも抱くようになっている。

 一方で文在寅政権の中軸は、金氏の仲間だった「86世代(80年代に学生運動を担った60年代生まれ)」によって占められている。当然、最大派閥だったNL出身者が多いから、保守派から「主体思想派だらけ」と言われるのだ。

 私は金氏に「文在寅政権にNL出身者が多いことは、政策的になんらかの影響を及ぼすのだろうか」と聞いた。返事は「北朝鮮を正面から批判するのをためらう心理はあるのではないか。若い時に強く支持していた相手を全否定するのは簡単ではない」というものだった。若い時にのめり込んだ思想へのノスタルジーは、なかなか消えないということだろう。

 ただし一部の保守派による「文政権は北朝鮮に操られている」という主張には無理がある。金氏は穏やかに「そんな時代ではない。(北朝鮮支持の)地下政党がきちんと存在していたのは、もう昔の話だ」と否定した。この点については、韓国の政情を熟知する日本外務省のエキスパートも「北朝鮮にそんな影響力は残っていない」と断じる。安易な陰謀論を語る人には注意した方がいい。

 金大中政権が北朝鮮に関する情報を解禁し、2000年の南北首脳会談以降は直接接触による大量の情報が韓国社会に流入した。そして多くの韓国人が、かつての金氏のように北朝鮮の現実に幻滅した。後述するが、いまや早期統一を支持する世論は完全な少数派だ。文在寅政権は「平和共存」というスローガンを掲げるが、よく考えれば「共存」とは「統一しない」ことを前提にしたものである。

 80年代後半から90年代前半の学生運動で主流派だった主体思想派だが、現在の韓国で自らを「主体思想派だった」と語る人はほとんどいない。これもまた、北朝鮮に対する微妙な心理の反映だろう。金氏は例外的存在で、普通は「NLだった」と言う。金氏に疑問を投げかけると「主体思想派というのは公安当局やマスコミが付けた名前で、自分たちではNLと言っていたからね。NL内にも非主体思想派はいたけれど、きわめて少数だった。だから基本的にはNLと主体思想派は同じだと考えていいよ」と苦笑した。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191027-00000007-mai-int

毎日新聞


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