「激怒する人民はもはや恐れず」

 「中国で最も国際的な影響力のある法律学者、清華大学の教授、許章潤先生が書いた最新の文章が微信の様々なグループで広がっています。あなたもおそらくお読みになったでしょう。許先生の文章は、警世の言(社会への警告)と言えるでしょう。ですが、間違いなく自分の身を危うくするものです。友人の皆さんに、許さんと毎日連絡を取り合い、安否を確認し続けてほしいのです。」

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 武漢で発生した新型コロナウイルスの肺炎が拡大を続ける今月初め、北京の友人からメールが届いた。

 昨年東京で知り合ったメディア業界のこの友人とは、微信やメールで連絡を取り合っているが、時に政治的にセンシティブな発言をして微信が停止されることもしばしばだ。

 許章潤先生はこれまでも何度か本コラムで紹介したが、歯に衣着せぬ発言で知られる自由派知識人、改革派の学者だ。特に一昨年、習近平国家主席が憲法改正により自らの終身制を可能としたことを「毛沢東時代への後退」と厳しく批判し、清華大学から停職処分を受け、現在も活動が大きく制限されている。

 友人が語った文章は、すでに国内外のメディアも部分的には報じているが「激怒する人民はもはや恐れていない」という題名で、今月初め、ネットで国内外に広がった。

 内容は約7000字の長文で、許先生独特の「中国人にも難しい」(友人談)難解な文体だ。

 冒頭から「武漢で発生した新型コロナウイルスが全国規模で広がり、人々を恐怖に陥らせ、感染は世界へと広がり、中国は世界の孤島となり、30年余の改革開放で積み重ねてきた開放的な状態は、瞬時に失われた」として、その原因は、「すべてを独占し、何事も(習近平)1人が決める『組織的な秩序喪失』や上のみに責任を負う『制度的無能』、さらに『保江山(共産党が手に入れた天下を守る)』という私的な目的のために国民に苦しみを与える『道徳的堕落』により、天災よりも大きな人災を招いたとして、最高指導者は『無恥極まり』『民心は失われた』」―このような厳しい口調が続く。

「何億もの国民を苦しめている」

 そして、「国民の怒りは火山が爆発したようで、激怒した人民はもはや何も恐れない」として、2018年以降の9項目の状況を挙げ、「政治的に堕落し、政権に徳が失われた」、「人民大衆は政権を守るための『必要な対価』(新型肺炎で多くの死者が出ていることを指しているとみられる)にすぎず」、「役人は上も下も感染状況を隠蔽するのは、核心(習近平)が太平を謳歌するためで、人々のことは何も考えていない」、「大流行を前に、最高指導者に指導者としての徳はなく、対応はちぐはぐで、何億もの国民を苦しめている」とこれまでにない激しい言葉で習近平政権を批判している。

 9項目の中で、内政や外交、さらに市民の自由について、許氏はこう述べている。

 「内政のガバナンスは全面的に低下している。経済の低迷はすでに定まり、今年は更に悪化する勢いであり、『風波』(1989年の天安門事件のこと)以来かつてない状況で、『組織的秩序喪失』『制度的無能』は極度に達している。国民の信頼感は失墜、政治や学界での不満が蓄積し、社会は萎縮し、文化出版は低迷、残るは指導者におもねる革命歌曲やドラマや、恥知らずの御用文士たちの礼賛だけだ。」

 「最も残念なのは、香港や台湾の情勢を見誤り、特に香港基本法の普通選挙の約束を果たさず、相次ぐ拙劣な対応により、政治的な信頼が完全に失われ、中国で最も繁栄し文明的な地区の民心が離反し、世界にこの政権の無頼な姿をさらすことになったことだ。米中関係を見ても、指導者のだらしなさ、さらに意表を突くトランプ政権により、すべてが台無しになっている。『帝国主義が我々を滅ぼそうとする野心はなくならない』という(有名なスローガンがあるが、米国が)やりたくてもできなかったことを、(習近平は)むしろ手助けしている、と揶揄するコメントがネットにあふれている。これはからかいと言うだけでなく、心痛むことではないだろうか。」

自らの処罰も覚悟

 「一方、ここ数年公権力は社会の発展を制限、破壊し、言論統制は日増しに厳しくなり、社会が(今回のような危機に)警報を発する仕組みを弱体化、喪失させた。疫病の大流行に対して、人々の口を封鎖し、更には都市を封鎖することで、人々の心だけでなく人々そのものを死に至らせた。」

 「つまりは、上から下まで、彼らは(改革開放以降の)40年間で最もどうしようもない指導部であり、だからこそ、憲法35条が定める報道の自由を解禁し、ネット警察による特務的な管理をやめさせ、市民の言論の自由や良心の自由を実現し、市民のデモや結社の自由を認め、国民全体の普遍的人権、特に政治参加の権利を尊重し、ウイルスの原因について、感染を隠蔽した責任者や体制への独立した責任追及の仕組みを発動することが、再建への進むべき道であり、急務とされていることだ。」

 さらには市民社会が存在せず、大災害が起きてもお互いに助け合う事ができず、「ビッグデータ集権主義」「微信テロリズム」により国民の言動を支配し、(習近平が)あらゆる改良の可能性を閉ざし、結果的に中国が世界の流れに逆らって孤立を生んだとしている。

 だが人々はもはや恐れたり、権力の神話を信じたりすることはなく、世界的疫病が広がり、尊い命が次々と失われていくのを見て「人民は激怒」しており、もはや人々は犬や豚のような奴隷ではなく立憲民主や共和制に向けてのカウントダウンが始まったのだとした。

 許氏は最後に、自分がこの文章を発表することで処罰されることも覚悟しており、これが最後の執筆になるかもしれないが、責任逃れはしないとして、「自由とは天賦のものであり、中国の人々も例外ではない、自由が花開くために、たとえ火の湖が前にあろうと、どうして恐れるだろうか」「自分もペンを武器として、正義を求め、正しい道を訴える。今回の疫病に、14億の逃げることができない我らが同胞は、自由の太陽を迎えるため、力を合わせて正義のために命を燃やそう」と呼び掛けている。

漢詩で思いを書き残す

 許先生はこの文章を発表する前の1月、自作の漢詩を書き残している。「蒼山晚に向い独り自ら愁う」始まるこの詩は、筆者の大学の先輩で中国古典文学の専門家の私大教授によれば、「山中で暮らす隠君子が、人生の老年に思う悲しみ」を詠(うた)ったもので、残雪が残り春の雪解けを待つような、言論の自由が奪われた冬の時代、自分も逃げ場のない状況で、どう戦うべきか思い悩む気持ちを表現したものだという。

 今回の文章にも「ペンを武器として、正義を求め、正しい道を訴える」と述べた部分があるが、共通する気持を表現したのだろう。

 ただ、許先生のこの文章は、正直言ってあまりに大胆で、「こんな文章を発表して大丈夫か」と心配したが、この文章が広まった直後、武漢市の病院に勤務し、ウイルス発生時に警告を発していた李文亮医師が死亡したことで、世論の風向きが大きく変化した。
「不能不明白」(真相を知らずにいることはできない)という言葉がネットで広がり、上海とみられる街頭で女性が「言論自由」と掲げた写真を公開するなど、人々が大胆にも情報公開を求めるようになった。

 許氏のような自由派知識人の間にも政府への反対の声が広がっている。北京大学の張千帆教授(憲法学)は、「ウイルスを防ぐために、中国は憲政民主を必要としている」という文章を発表(ニューヨーク・タイムズ中国語版にも掲載)、この中で次のように述べた。「民主国家では起こり得ない」

 「武漢肺炎では昨年12月中下旬に感染が確認されたのに、湖北省も武漢市も事実を公表し社会に予防を呼び掛けることなく、それどころか人々に湖北省への旅行を奨励した。李文亮医師らは微信でウイルスのリスクを提示したが、当局はウイルスの問題を解決するのではなく、問題を提起した李氏を『解決』し、『デマを流した』として警察が処罰した。1月18日、湖北省の人民代表大会終了後ようやく、感染データの公表を再開したが、武漢市では4万人が(料理を持ち寄って)集まる「万家宴」を開くなど、あまりにも愚かだった。この間少なくとも3週間の防疫のための時間を無駄にし、一体どれだけの人が感染しただろうか。」

 「憲政が実施される民主国家では、今回のような危機はおそらく当初から発生しなかっただろう。言論と報道の自由が新型コロナウイルスを初期段階で防ぐことができるからだ。言論と報道の自由は人々に知る権利を与え、ウイルスの感染防止に役立つ。これは2003年のSARSで得た教訓だが、17年たってもいまだに言論と報道の自由は進歩しないどころか、むしろ深刻な後退をしている。武漢市は感染の深刻さを隠蔽し、8人の『デマを流した』人を取り締まり、物言えば唇寒しという恐ろしい雰囲気を作り出した。私は1月18日に武漢の体制内の学者に聞いたが、『それほど深刻ではない』という答えだった。もし言論と報道の自由が開放されていたら、武漢さらに全国で『都市封鎖』」始まってからようやく感染防止に乗り出すというようなことがあっただろうか。」

「真の選挙が行われば封鎖や隠蔽はなかった」

 「憲政民主の重点は民主であり、民主の心臓は議会であり、議会の活力は選挙である。湖北省の人民代表大会が1月12~17日にどのように開いたのかは知らない。だが人民代表大会が真の選挙で選ばれたのでないことは間違いない。でなければこれだけ大規模な感染が広がっているのに、誰も代表が発言しないことはありえないからだ。(正しい選挙が行われていれば)湖北省や武漢市の省長、市長は情報の封鎖や感染の隠蔽をしなかっただろう。武漢市長は今回の感染状況について、中央政府には報告していたが、現地の大衆は全く知らなかった。」

 「上には従っても下には従わない、その根本原因はこの市長が武漢市の人民代表大会で選ばれたのではなく、人民代表も真の選挙で選ばれたのではないためで、市長に責任を問うことができないのだ。でなければ彼らは中央政府や湖北省の指導者を恐れるのではなく、武漢市の有権者を恐れるだろう。中国の地方政治や選挙は20年前よりも悪化している。言論の自由がここ数十年で進歩があったとするなら、選挙は70年間全く進歩していない。真の意味での選挙が行われなければ、政府は人民に責任を負うことなく、改革の逆行を防ぐこともできない。」

 「さらには、宗教や信仰の自由が保障されれば、社会には危機に際して各種の救援活動が行われただろう。結社の自由は市民の自発的な組織を生み、社会の自己管理能力を高め政府の負担を減じ、危機に際して民間社会を動かし、政府の手が回らない隙間を補うことができる。中国は40年間の市場改革により、巨大な民間資源が生じた。2008年の四川大地震では、NGO(非政府組織)が大きな役割を果たした。だが近年市民社会の活動空間を狭める、流れに逆らう動きが出ており、『市民社会(原文は公民社会)』という言葉すらタブーになっている。今回の感染拡大で政府の対応がちぐはぐで後手に回ったのも、近年市民社会が深刻な圧迫を受けてきたことが原因だ。」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200217-00070457-gendaibiz-cn&p=5


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