2018年、ロシアの元二重スパイがイギリスで暗殺未遂に遭った事件は世界に大きな衝撃を与えた一方、ロシアの諜報機関「GRU」の凋落ぶりも露呈した。プーチンを怒らせたGRUの失敗とその原因を英紙記者が明らかにする。 【画像ギャラリー】プーチンが脱いだ! 驚愕の肉体美 2018年夏、イギリス警察当局はロシアの元諜報員セルゲイ・スクリパリ暗殺未遂の容疑者として、2人の男を特定した。 ロシアの諜報機関「GRU」(ロシア連邦軍参謀本部諜報総局)の元大佐だったスクリパリは、娘ユリアとともにソールズベリー市内で有毒神経剤によって殺されそうになった。容疑者の氏名は公表されず、イギリス政府は二つの対応策を検討した。 ひとつめは、容疑者の身柄引き渡しをロシアに要求すること。だが、ウラジーミル・プーチン露大統領は決して承諾しないだろう。二つめは刑事裁判の可能性はゼロと認識したうえで、具体的な機密情報を公開すること。 9月、テリーザ・メイ英首相(当時)は二つめの対応策を選んだ。容疑者はロシア人のルスラン・ボシロフとアレクサンドル・ペトロフの2人で、それぞれ偽名を使っていることも明かされた。さらに、容疑者をとらえたソールズベリー市内の監視カメラ画像が公開され、犯行に使われた凶器は有毒神経剤のノビチョクだということも公表された。

時代遅れのロシアのスパイ戦略

こうした事実は、「ベリングキャット」にとってはおおいに有益だった。ベリングキャットはイギリスに拠点を置く市民調査報道団体だ。2014年にエリオット・ヒギンス(41)によって創設された同団体は、画像や位置情報、データベースなどネット上の公開情報を使って調査おこない、これまでにシリア戦争における虐殺やウクライナ上空でのマレーシア機追撃事件などの真相を暴いてきた。 スクリパリ暗殺の容疑者の情報が公開されると、ベリングキャットのスタッフたちはすぐに証拠を探し回った。彼らの捜査は後にGRUとプーチンの顔に泥を塗り、GRU長官イーゴリ・コロボフを“不審な死”に追いやることになる。 旧ソ連時代のスパイや暗殺者は、偽造パスポートを使って欧州を自由に行き来しており、彼らの行動が明るみに出ることはまずなかった。彼らが現在のスパイよりも優れていたかはわからない。 とはいえ、いまのロシアのスパイの手口は古臭いと言わざるを得ない。GRUはソ連時代のアナログな戦略をいまだに使っている。タジキスタンやモルドバ、ウクライナなど、監視カメラのほとんどない旧ソ連領内なら、CIA(米中央情報局)の存在を気にすることなく手柄を立てることができるだろう。 だが、西ヨーロッパは違う。とくにイギリスは徹底的なスパイ対策をとっている。 鉄道駅、ホテルのロビーや空港など、公共の場には監視カメラ網が張り巡らされており、モスクワから空路でイギリスの空港に降り立ったら誰であっても映像に記録される。この出入国記録データベースは他の西側諸国の公安当局も利用可能だ。こうした状況を把握できず、ロシアはスクリパリ事件で監視カメラに姿を残すという致命的な失敗を犯した。 GRUのこの信じられない失態は、国内外で「絶対的指導者」を印象づけてきたプーチンの威信を大きく傷つけ、彼を怒らせた。 では、いったいなぜこんな間違いが起きたのか? 亡命ロシア人作家のヴィクトル・スヴォロフ(73)は、GRUの凋落はもっと“大きな動き”の一部にすぎないと話す。スヴォロフは元GRU将校で1978年にスイスのジュネーブからイギリスに亡命した。 2018年末にロンドンでスヴォロフに取材した際、現在のGRUは惨憺たるありさまだと彼は語った。GRUは依然として欧州に暗殺部隊を送りこんでいるが、21世紀の情報戦の世界には対応できていなかいという。 スヴォロフは古い組織の失敗を「ガン」になぞらえ、その病巣がロシア全体を蝕みつつあると語った。この病は諜報活動だけでなくテクノロジーや宇宙ロケットの開発分野にも影響をおよぼしているという。 国内の道路の状態は劣悪で、廃墟のようになった村もある。ロシアは文字どおり崩壊の途上にあるのだ──こう話したとき、スヴォロフは「ラスパッド」という単語を使った。崩壊、瓦解という意味だ。 ロシアの現状はタイタニック号のようなもので、富裕層は救命ボートで脱出するつもりだと彼は言う。

暗殺犯は「ロシア連邦の英雄」

ロシアの市場には住所、車両登録情報、電話帳、その他大量の公的情報がCD化されて売りに出されている。しかるべき人間とつながりを持ち、ほんの少し現金を差し出せば、ロシア国民のパスポートのデータベースへのアクセスさえも可能になる。 逆説的ではあるが、腐敗が蔓延していることでロシアは世界有数のオープンな国家になったのだ。賄賂は調査報道の友であり、政府や軍の機密にとっては敵だった。 ロンドン警視庁がボシロフとペトロフの顔写真を公開すると、ベリングキャットは2人の素性を洗い出しにかかった。まずは彼らの画像や関連のある電話番号をネット検索したが成果はなし。 そこでスタッフたちは、ロシアの情報筋に連絡し、西ヨーロッパで活動するGRU将校はロシア国内のどこで訓練を受けるのかを訊き出した。すると、ボシロフは極東ハバロフスクの極東総司令官局付属アカデミーで訓練を受けていた可能性があることがわかった。さらに捜査を進めると、彼の年齢は30代後半~40代前半であることと、誕生日が判明した。 アカデミーの卒業アルバムからは何も成果が得られなかったが、チェチェンで撮影されたアカデミーOBのグループ写真には有力な情報があった。ウール帽に制服姿の兵士のひとりが、ボシロフに似ていたのだ。 20018年のある資料によれば、その兵士は卒業後に軍の最高勲章「ロシア連邦英雄」を政府から贈られたという。 学校のウェブサイトには、第2次世界大戦中に赤軍を勝利に導いた英雄コンスタンチン・ロコソフスキーの金の立像と並んで、ボシロフの写真があった。彼の本名は、アナトリー・チェピガ。「ロシア大統領の命によって」この栄誉が授与されたと、サイトには書いてある。ベリングキャットがさらに彼の痕跡を探すと、次々と情報が出てきた。 チェピガは18歳でアカデミーに入学し、2001年に卒業する。2003~2010年のある時点で彼はモスクワに移り、GRUの主要アカデミーで訓練を受けた後に2014年にウクライナに派遣され、そのときの戦功で「ロシア連邦英雄」勲章を受けた。その後、チェピガは西ヨーロッパやイギリスを頻繁に移動する。 イギリス警察当局が追う暗殺未遂犯のひとりボシロフは、チェピガだったのだ。 チェピガは結婚して、子供をひとりもうけていた。スクリパリに毒を盛った男は、父親であり夫であり、ロシア南部と西部の騒然とした国境地帯の戦闘をくぐり抜けた軍人で、いまは殺人犯扱いされていた。 では2人目の暗殺未遂容疑者はどんな男なのだろう?

https://news.yahoo.co.jp/articles/5b600e913885b6c75797c7bb1f6a21685f4b859a?page=2

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