2020年、クーリエ・ジャポンで反響の大きかったベスト記事をご紹介していきます。2月18日掲載〈「ナチス人体実験」生存者の双子が語る“死の天使”メンゲレの非道〉をご覧ください。 ――― “死の天使”の異名で恐れられたナチスの医師ヨーセフ・メンゲレは、特に双子に強い興味を抱いていた。アウシュヴィッツ強制収容所では双子の子供たちだけを集め、残酷な人体実験を繰り返していたという。当時の生き残りでメンゲレのお気に入りの双子だったという姉妹が、75年の時を経て恐怖の記憶をイスラエル紙に語った。 【画像】“死の天使”メンゲレの「人体実験」を受けたガリガリの子供たち 1945年1月27日、米英ソ連などからなる連合軍が、ナチス占領下のポーランド領内にあったアウシュヴィッツ強制収容所を解放した。 そのとき、双子のリアとイェフディット・クセンジェリ姉妹(現在はそれぞれリア・フーバーとイェフディット・バーニャ)はまだ7歳だった。 ふたりは解放されてまもなく、収容所の有刺鉄線そばで他の生還者たちと体を寄せ合うよう命じられた。そして自由を満喫する間もなく、ソ連軍のプロパガンダ映画に参加するよう言い渡される。 収容所の解放を描いたとされるこの映画は、現場をリアルタイムに記録したものではない。 「あれは演技です」とリアとイェフディット姉妹(共に現在82歳)は映画のスチル写真を見つめながら、本紙「ハアレツ」に語った。 演出があったとはいえ、この映画は驚くべき記録だ。サディスティックなドイツ人医師ヨーゼフ・メンゲレによっておこなわれた恐ろしい実験を生き延びたユダヤ人双子姉妹の運命が映し出されているのだから。

「生死の決定権」を持つ男

アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館にも展示されているそのスチル写真には、双子姉妹の母ミリアム=ラケルも写っていた。 姉妹は、自分たちがあの収容所から生きて出られたのは母のおかげだと口をそろえる。 「母がいてくれたから、こうして生きているんです。母は私たちの髪をとかし、雪のなかで入浴させ、双子の実験区画にこっそりパンを持ってきてくれました」 メンゲレが2人に実験をしていると、そこに母親が飛び込んできて、やめてくれと懇願したこともあった。母親は罰として何かの注射を打たれ、その後2週間、意識を失っていたという。 「母は私たち姉妹のヒーローなの。私たちのように双子が2人とも強制収容と実験を生き延びたケースはほとんどありません」とリアは話す。 リアとイェフディット姉妹は1937年、北トランシルヴァニアに生まれた。故郷の町は1940年、ルーマニア王国からハンガリーに割譲された。 1942年、2人の父は強制労働班に配属される。1944年5月、姉妹は母とともにシムレウのゲットーへ送られ、その月の終わりにアウシュヴィッツに強制連行された。アウシュヴィッツに送られた全親族のうち生還したのはリアとイェフディット、そして母親の3人だけだった。 メンゲレが悪名高い人体実験にリアとイェフディット姉妹を選んだのは、2人が一卵性双生児だったからだ。リアは当時を次のように振り返る。 「双子用の実験区画に入れられるとすぐ、メンゲレが定期的に巡回して実験に使うお気に入りの双子を選ぶと知りました。当時まだ幼かった私たちは、あのおじさんは強くていばっていて、誰を生かして誰を死なせるのかを決める人だと思っていました」 姉妹にとって最大の恐怖は、「片方の死」だったとイェフディットは話す。 「ほとんどの場合、実験区画の双子は2人とも戻ってきませんでした。だから、私たちはいつもお互いに手を握り合ってました」 それから75年が経過したいまも、2人はアウシュヴィッツで受けた実験には口を閉ざし、そのときの記憶を忘れようとしている。 それでもリアの孫娘シャニ・レヴァニーはメンゲレと祖母たちの関係についてほんの少しだけならと口を開いてくれた。 「メンゲレは祖母たちに愛着があったようです。彼は2人を『かわいいクセンジェリ姉妹』と、番号ではなく名前で呼んでいました。あるとき、全員が並んで食事を待っていると、彼は2人を列の先頭に立たせたそうです。祖母たちは品行方正でしつけがよく、強引に割って入ることを知らないからというのが理由だったそうです」 2人は解放後も、自由の身になったという実感が湧くまで長い時間を要したとリアは言う。 「子供でしたが、解放されたとは思えませんでした。食糧は少しは増えていたかもしれませんが、住む家もなく、生活を立て直すのに精一杯でした」 真に自由になったと感じるようになったのはそれから15年後の1960年、生還した両親とともにイスラエルに移住したときだ。「私たちは突然、自由になりました。迫害する人はもういませんでした」とリアは振り返る。 「何をしているんだ、と詰問されることもなくなりましたし」とイェフディットが付け加えた。

メンゲレは氷山の一角

リアとイェフディット姉妹の親族のうち、70名がホロコーストで命を落とした。犠牲者には祖父と祖母も含まれている。 「『おじいちゃん』『おばあちゃん』がほしかったけど、そう呼べる人がいませんでした。悲しいことです」とイェフディットは言う。 2人は1月27日の国際ホロコースト記念日に、イスラエル南部ベエルシェバのネゲヴ・ベン=グリオン大学で開かれる会議に出席した。同大学の保健学部が主催するこの会議では、ホロコーストおよびナチスに関連した医療倫理問題が討議された。 リアの孫娘シャニ・レヴァニーは、この大学の医学部で学んでいる。祖母と大叔母が苦しまされた医師の道に進む選択を自らしたことに、特別な意味を見出していると話す。 「自分はどんな医師になりたいのか、患者に治療をする際にはどのような倫理原則に従うべきか、自問自答を繰り返しています。決まりを守るだけでなく、患者の内面も含めて向き合っていきたいんです」 シャニは、大学の医療倫理センターでマシュー・フォックス博士の助手も務める。フォックスは数年来、ナチス時代に引き起こされた問題に現代医学がどう対処しなければならないかを研究している。「医学倫理上のジレンマは、21世紀になってもこの時代と無関係ではいられません」とフォックスは話す。 たしかに、新規療法や安楽死、中絶、遺伝子工学といった話題には、患者の権利と医学倫理のジレンマがつねにつきまとう。 また、フォックスは、メンゲレはナチスの戦争犯罪に加担したドイツ人医師の「氷山の一角」にすぎないと述べる。メンゲレはホロコーストの最前線にいた。だが、ドイツの多くの医療従事者もホロコーストに動員されていたという。 「医師は、他のどの職業も上回る規模でナチスおよび親衛隊に加わっていました。メンゲレといった個人の問題ではありません。これは、ドイツの医学界全体があらゆるレベルで深く関与した『犯罪』なのです」

いまでも医師が怖い

アウシュヴィッツから解放されて75年が経過したいまも、リアとイェフディットの双子姉妹は医師との接触を不安に感じている。 「病院に行くのはなるべく最小限にとどめています。少女時代に受けたあの実験の恐怖がいまも消えないからです」とリア。イェフディットがこう言葉を継いだ。 「医師が私たちを虐待した記憶がいまだに潜在意識に残っているので、病院に向かう足取りは重いし、ぞっとします。単純な血液検査でさえも悪夢です。私たちはいまでも、医師を感情のない冷血漢だと感じます」 医師への恐れはあったものの、双子姉妹は医療畑の人間と個人的なつながりを持っている。リアは獣医と結婚し、イェフディットは歯科医と結婚した。 また、ともに歯科を学ぼうとしたが、イスラエル移住前にいたルーマニアでは歯科技工士の資格しかとれなかった。 後にイェフディットは夫と、やはり歯科医の息子の助手になった。イェフディットは医師のあるべき姿をこう考えている。 「医師にとって大切なのは、患者も同じ人間だと認識すること。魂を持ち、感情を持ち、疑念や恐れを持つ人間だということを認識しなければいけません」

Ofer Aderet

https://news.yahoo.co.jp/articles/9b648dca672a965dd02e25c83a112c19d6ecee91?page=3

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