韓国では、とりわけ人の名前がつく法案が多い。「ネーミング法」とも呼ばれるが、社会的に大きな話題となった事件の当事者の名前をつけることで、堅苦しくて理解しにくい法案について、国民から共感を得られやすい効果がある。 【写真】故ク・ハラの兄のインタビューを報じる韓国現地メディア  例えば、「BTS法」「ク・ハラ法」「ソルリ法」などである。それぞれの正式名称は「兵役法一部改正案」「民法改正案」「情報通信網法改正案」だ。  日本でも話題になったのが「BTS法」だ。国威発揚に貢献した大衆芸術家に対し、満30歳まで入隊延期を可能にしたのが骨子である。  昨年12月に国会を通過した後、同月22日に国防部によって公布され、6カ月後の今年6月から施行される。  BTSの「Dynamite」がビルボードHOT100の1位になったことを契機に、昨年の秋の通常国会で本格的に提起された法案という意味から「BTS法」と名付けられた。

「ク・ハラ法」成立前に、実母が……

「ク・ハラ法」とは簡単に言えば、子供あるいは親に対する養育や扶養の義務に反したり、虐待などの行動を犯した場合には相続権を剥奪することを骨子とする。  人気ガールズグループ「KARA」出身のク・ハラさんは9歳の時に実母が家出した後、2歳年上の兄とともに祖母の手によって育てられた。実母の突然の家出の直後、父親は服毒自殺を試みるなど、実母の家出は幼いハラさんの心に深い傷を残した。ハラさんは2008年にKARAのメンバーに抜擢されて芸能界にデビューし、高い人気を博したが、不幸な家族関係によるうつ病に悩んでいたという。  2019年11月、ハラさんは突然の自殺で多くのファンに衝撃を与えた。ところが、ハラさんの葬儀に20年間も連絡を絶っていた実母のAさんが、突然弁護士とともに現れ、ハラさんの遺産相続を主張したのだ。  ハラさんの兄は2020年3月、国会に「扶養義務を捨てた親の相続権を剥奪してください」という立法請願を提出し、多くの国民が同意し、20代国会で関連民法改正案が発議された。しかし、会期間近の国会では期限切れで同法案は廃止され、昨年12月にAさんは法廷攻防を通じ、ハラさんの遺産の40%を相続できるという判決を勝ち取ることに成功した。  次の国会でも関連法案が多数発議されている中、今年1月7日、法務部も、「ク・ハラ法」の政府立法案を立法予告した。  この法案は、40日間の意見収斂期間を経て国会に改正案が提出されれば、国会の議決過程を経て立法が完了する。

ネットの悪質な書き込みを取り締まる「ソルリ法」

 ハラさんの親友で、ハラさんより1カ月先にこの世を去ったガールズグループ「f(x)」出身のソルリさんの名前を取った「ソルリ法」は現在、国会で議論中だ。  韓国社会ではソルリさんの死後、彼女がネット上の悪質な書き込みのため、深刻なうつ病を患い、自殺で命を絶ったという報道が殺到した。ソルリさんの死を契機にネット上の悪質なコメントが社会問題化すると、ネイバーやダウムなどの韓国ニュースサイトは、芸能記事のコメント欄を廃止した。  国会でも悪質なコメントに対する強力な処罰を骨子とした、いわゆる「ソルリ法」「チェ・ジンリ法」(ソルリさんの本名)などが多数発議された。ネットの匿名性の裏に隠れないようにネット実名制を導入することや、悪質な書き込みに対する処罰を強化することなどを骨子とする大同小異の法案だ。

慌てて作られる法律による“副作用”も

 ただ最近、このような法案に芸能人の名前を使うことが、その本人たちにかえって被害を与えるという指摘が出始めている。  特に不幸な事件の被害者には、ネーミング法案自体が「2次加害」になるという意見も少なくない。  例えば、「ク・ハラ法」がマスコミによって取り上げられるたびに、彼女の自殺や彼女の家族史が引き続き話題になることは、ファンとしては決して喜ばしくない。  また、ネーミング法案は、世間の注目を集めた事件が起きると、短時間で作成される場合が多く、内容が不十分で、その“副作用”も伴わざるを得ないという指摘もある。綿密な検討無しに拙速で作られた法案は、かえって法案に名前が入った芸能人に対する反感につながりかねないというわけだ。  例えば、「ク・ハラ法」は、相続権を「血縁関係による天賦の権利」と認めている韓国憲法の精神に反するとの指摘がある。2018年には憲法裁判所でク・ハラさんの事件と似たような事案について、「扶養の有無によって相続権を決定できない」という判決が出ている。相続権の剥奪に値する「虐待等の行動」についても、詳細な範囲設定がないため、早くも相続訴訟が続出するのではないかとの予測も出ている。 「ソルリ法」も2012年、人気女優の崔真実(チェ・ジンシル)さんの自殺を機に、国会で発議された「崔真実法」(インターネット実名制法)が違憲判決で廃棄されたことを取り上げ、二番煎じになるという非難が出ている。「サイバー上の名誉毀損罪」など、ネット上での悪質な書き込みに対する処罰を規定した法案がすでにあるが、似たような法案を再び作れば、二重処罰になるという不満も出ている。

「BTS法」は、BTSしか使えない?

「BTS法」については、同法案が「BTSだけのための法案」だという非難が一部ですでに起きている。  改正された兵役法により、軍入隊を30歳まで延長できる大衆芸術家は、「文化勲章または褒章を受けた受勲者の中で、文化体育観光部長官が国威宣揚に功績があると推薦した者」に限られている。  ところが実は、韓国では勲章受章者として推薦を受けるためには「該当分野の活動経歴が15年以上」という条件が必要だ。(ちなみに、大衆芸術家には褒章が与えられない)  つまり、10代半ばから活動を始めるK-POPアイドルは、15年間の活動を経て勲章をもらえる時点では30歳を超えてしまう。このため、韓国音楽コンテンツ協会は先日声明を発表し、「実質的に誰も恩恵を受けられない法案になってしまう」という不満を公式に示した。  韓国音楽コンテンツ協会によると、韓国で大衆芸術家が勲章を受ける平均年齢はなんと、67.7歳。過去10年間に入隊可能年齢の20代で文化勲章を受けた歌手はBTSだけだった。BTSは、K-POPを世界的に広めたということで「特別功績」に分類され、15年以上の活動という条件を満たさず、例外的に2018年10月に花冠文化勲章を受けた。  韓国音楽コンテンツ協会は「同法案が単にBTSの兵役問題だけでなく、K-POP産業の振興のための政府の思い切った決定にするためには再考が必要だ」という趣旨の声明文を発表した。

BTS、映画「パラサイト」は政府の努力の成果?

 つい最近BTSにハマって、遅れて「ARMY」(BTSファン)となった知人女性は、BTS法案に対して次のような不満をぶつけている。 「正直、ARMYたちはあまり嬉しくありません。BTSはずっと前から他の人たちと同じく兵役の義務を果たすと言ってきたのに、勝手にBTSを利用している政治家たちの下心が見え見えです。兵役という最も敏感な問題を扱う法律にBTSを持ち込むのは本当に迷惑。すでにインターネットでは、アンチBTSの人々が大騒ぎしています」  ネーミング法案は韓国の政治家のいわゆる「芸能人マーケティング」の一環だ。芸能人の人気に便乗すれば、大衆に自分の名前を知らしめ、特に若者層にアピールできるという点で、与野党を問わず、韓国の政治家にとっては絶好の宣伝法だ。  文在寅大統領も、1月11日の新年の辞で、BTSやBLACKPINK、映画の「パラサイト」などを列挙し、韓流コンテンツの世界的な成功がまるで韓国政府の努力の成果であるように語った。  政治的対立が続く韓国社会では、K-POPアイドルたちにさえ「左派」「右派」というレッテルを貼り、味方か敵かを問う雰囲気が強まっている。朴槿恵(パク・クネ)政権が、自らの政権に批判的な芸能人の「ブラックリスト」を作成していた件が代表的だ。  K-POPが全世界の若者に伝えている「和解」のメッセージを、最も近くで邪魔しているのは、政治家たちのこのような「芸能人マーケティング」ではないだろうか。

https://news.yahoo.co.jp/articles/871acdcc93ffd994ec64f4df9055d6a5dbad01f1?page=3

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