<「夜の銀座」、森発言に続き、長男の官僚接待問題が……総務省との深い関係は「政治家・菅」の本質を物語る>

昨年9月、菅義偉氏は無派閥ながら巧みな政略で自民党総裁選を制し、第99代首相に就任した。秋田の農家出身で苦学の末に議員秘書から首相に上り詰めた、という成功譚は好意的に受け止められ、世間は久しぶりの庶民派宰相の誕生に沸き返った。

ところがそれから半年。新型コロナウイルス感染拡大が続くなか、誰が政権を担っても批判されて当然という困難な状況にあることを差し引いたとしても、現在の菅政権はまさに満身創痍だ。 官房長官時代の定例記者会見の受け答えは、毀誉褒貶が相半ばしていたとはいえ、基本的には「実務的に手堅く処理」するものとして評価され、実際に超長期政権となった安倍晋三内閣を支える要諦となっていた。 しかし、首相になった後の記者会見や国会答弁に対する評価は一変した。「実直で朴訥」から「舌足らず」へ、「見事な切り返し」から「冷徹な切り捨て」へと国民の評価が変わりつつある。 公職選挙法違反に問われた河井案里参議院議員の有罪判決や吉川貴盛元農林水産相の収賄罪での在宅起訴も痛手だったが、直接的には前政権時代の負の遺産とも言える。しかし1月18日に始まった通常国会の論戦の出鼻をくじくかのように新たな醜聞である「3本の矢」が菅首相の背に刺さった。 1本目の矢は自公議員による「夜の銀座」訪問。2本目の矢は森喜朗東京五輪パラリンピック組織委員会会長の女性差別発言だ。 前者は緊急事態宣言下で営業時間短縮を余儀なくされた飲食店関係者や窮屈な生活を強いられている庶民の怒りを買い、後者は「ジェンダー平等」が人権問題であると理解されている欧米社会を中心とする国際世論の批判を浴びた。 緊急事態宣言によってワクチンが普及するまで感染拡大を防ぎ、コロナを克服した象徴として五輪を開催するという菅政権の基本戦略が相次ぐ身内の失態で揺らいでいる。 <放たれた「3本目の矢」> そして3本目の矢が、放送事業会社である東北新社による総務省官僚への接待問題だ。映像制作メディア系の大企業である同社といえども、同省の総務審議官や局長クラスを簡単に接待できるわけではない。東北新社が可能だったのはひとえに菅氏の長男が同社の部長職として在籍していたからだろう。 長髪にひげを蓄えた長男は、NHKの紅白歌合戦にも出場した2人組音楽ユニット「キマグレン」のメンバーと一緒にバンド活動をしていたとも伝えられている。 大学時代に空手部だった菅氏とアーティスト志向の長男は対極的だ。予算委員会で菅首相が答弁したとおり、親と子は「別人格」でもある。しかし、企業側も官僚側も意識していたのは「かすがい」役が他ならぬ「現役総理の子息」であるという点だったに違いない。

<官民癒着の「典型例」>

国家公務員倫理規程は国家公務員が「利害関係者」から供応接待を受けることを禁じている。菅氏の長男が取締役の株式会社囲碁将棋チャンネルは、衛星基幹放送事業者として総務大臣の認定を受けている。また長男が部長職を務める東北新社の完全子会社で、CS放送やBS放送向けの番組制作を手掛ける「東北新社メディアサービス」は総務大臣の認定を受けている。 子会社と親会社の「法人格が別」だから利害関係者ではなくなるという抗弁が通用するなら、子会社をつくればいくらでも法を潜脱できることになる。 認定の有効期限は5年。その審査基準は経理的基礎や技術的能力、マスメディア集中排除原則、外資制限など多岐にわたる。審査基準の適合性に関わる情報が入手できたら値千金だろう。 利害関係者と会食をする場合でも「完全自腹」であれば、利益を供与されていることにはならない。しかし、支払額が1万円を超える場合は事前の届け出が要求されており、やむを得ない場合に限って事後的な届け出が許されている。 接待を受けていたことが発覚した後に慌てて実費分を支払っても、供応接待を受けていたという事実が消滅するわけではない。 <総務省との密接な関係> 接待を受けていたのは、事務次官有力候補の総務審議官以下、全員が旧郵政省出身の放送・通信畑の官僚だ。官民癒着の典型例と言われても仕方あるまい。 今回、なぜ東北新社は総務官僚を接待するのに菅氏の長男を使ったのか。それは菅氏と同省の深いつながり故だ。 菅氏は2005年に竹中平蔵総務相の下で副大臣を務め、06年には総務相に就任した。以来、菅氏と総務省の密接な関係は政界では知らぬ者がいないほどだ。 総務省の幹部官僚が菅氏や菅氏に近い自民党議員の元に日参し、些事に至るまで報告を怠らない姿は有名だった。それは、財務省がこれはと見込んだ議員を財務省シンパに育てるために面倒を見る「伝統芸」よりも徹底していた。菅氏は単なる族議員の範疇を超えた存在になっていた。

<田中角栄の「嗅覚」>

総務省は01年の統合後もなお、旧自治省・郵政省・総務庁の権益が複雑に絡み合う巨大官庁だ。その中で放送・通信は比較的新興分野でありながら、放送局や通信事業者に対する権限が広範かつ強大だ。 もともとそうした点に目を付ける政治家の先駆者が田中角栄だった。田中角栄は1957年に郵政相に就任するや、当時の「ニューメディア」たる地方テレビ局への放送局免許付与を通じて全国規模での政治的影響力を拡大させていった。同時に郵政官僚も影響力を増大させ、放送局への天下りを広げていった。 議員2世や官僚出身などのエスタブリッシュメントではないが故に、新興分野を中心にがむしゃらに権勢を拡大しようとする田中角栄と、その勢いを利用して新しい政策を推進し新規天下り先を開拓しようとする官僚との相互利用の補充関係だ。 菅氏と総務省の関係は田中角栄と郵政省の関係を想起させる。では、菅氏が総務省を自らの「庭」にしようとしたのは、偶然か戦略か。 菅氏は96年に衆議院議員として初当選したが、翌年の委員会質問でいち早く携帯電話の商業主義に懸念を表明している。エスタブリッシュメントでないことを自覚する政治家が、全国規模の影響力を蓄えるのに必要なものは手薄な新興分野を見抜く嗅覚だといわれる。 携帯電話はその後、国民生活に欠かせない機器となっており、菅氏の勘はそういう意味で田中角栄に匹敵するものだった。しかも菅氏は総務省の聖域たる自治財政の分野にも手を付け、ふるさと納税制度を生み出した。 そうした菅氏に異を唱える総務官僚は放逐され、支持する総務官僚は菅氏の権勢拡大に比例して出世した。安倍政権の長期化でフル稼働した内閣人事局による官邸人事も相まって、総務省はいつの間にか菅氏の「庭」と見なされるようになった。 <確固たる基盤なき首相> 同時に無派閥であるはずの菅氏は、いつの間にか自民党内で若手無派閥議員による「ガネーシャの会」や故鳩山邦夫氏が創設した「きさらぎ会」などから成る緩やかなグループを非公式的につくり上げた。 その緩やかな支持基盤が真骨頂を発揮したのが昨年9月の総裁選であり、二階派の全面支援のもと瞬く間に多数派が形成され、勝負は菅氏の圧勝に終わった。 しかし緩やかな権力基盤は政権の獲得に威力を発揮しても、権力維持に最適であるとは限らない。今回の「3本の矢」はいずれもポリティカル・コンプライアンス、つまり政治の局面で「法令をいかに遵守し、社会的な要請に応えるか」という問題を問うている。場当たり的な対応は、確固たる「基盤」なき首相のもろさを暴き出しかねない。

<首相がなすべきことは……>

菅氏は官房長官として数々の危機管理に成功し、豪腕の名をほしいままにした。第2次安倍政権発足直後に見舞われたアルジェリアのテロ事件では、小走りに官邸に駆け込む官房長官の映像が強いリーダーシップと責任感を感じさせた。 不祥事が発生した場合、閣僚であろうと有無を言わさず更迭する采配も、政権の守護神としての地位を不動のものにした。 しかし首相を守る立場の官房長官と、ほかでもない自分自身に政権の命運が委ねられる首相とでは、危機管理の手法も、国民に語り掛けるべき内容も異なる。 官房長官としては飛んできた矢を1本ずつ折ればいい。しかし首相がなすべきは、3本の矢の背景にある国民の視線に、自らの言葉で応えることだ。その説明にこそ国民は首相の人格とインテグリティー(高潔性)を見いだす。 これまで官房長官から首相になった政治家は菅氏を含め10人いるが、優れた官房長官が名宰相になるとは限らない。接待現場を撮影された総務官僚の弛緩と油断は、総務省に築いたはずの菅氏の「庭」が実は「箱庭」にすぎなかったのではないかという疑念を生じさせている。 菅氏の豪腕が「箱庭」で生まれ共有された幻想にすぎないのか、それともコロナ禍の日本を救う本物なのか。問われているのはその本領だ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2860c3422b44a1a02264ea85854790aca38bf269?page=4

ニューズウィーク日本版


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