チリで生まれ、赤ん坊の頃に養子としてスウェーデンにやってきた1人の女性。大人になって、生みの母に会いたいと思った彼女は、自分が実母のもとから「盗まれた」ことを知る。幼い彼女を母から引き離し、遠い異国の地に追いやったのは誰なのか? その目的とはいったい──。 【画像】私は「盗まれた赤ちゃん」だった─親子を引き離した“嘘だらけの養子縁組”はなぜおこなわれたか

覚えている限り、マリア・ディーマーは子供の頃から、自分が養子であることを知っていた。 スウェーデン人の養父母は、彼女がチリ人の血を受け継いでいることを隠したりはしなかったし、1970~80年代のストックホルムで、褐色の肌と黒髪を持って成長すれば、周囲との違いに気づかないはずもなかった。 11歳のとき、ディーマーは養父母から、生後2ヵ月の自分が1975年にスウェーデンにやってきた際に渡されたという書類を見せてもらった。そこには、彼女を生んだ10代の母親が、生まれたばかりのディーマーを、遠く離れた異国の見知らぬ人たちに育ててもらうよう送り出した、という事実だけが簡潔に書かれていた。 「生みの母親は住み込みのメイドで、祖父母と暮らす息子がいること、そして貧しいということを、養父母から教えられました」とディーマーは言う。

実母探しを始めて気づいた異変

20代半ばになって、ディーマーは生みの母親を探そうと決意した。彼女はまず、自分の養子縁組を取りまとめたスウェーデンのNGO、アダプション・センターに連絡した。 スウェーデンは、外国からもらう養子の数が1人当たりでもっとも多い国のひとつだ。アダプション・センターは1990年代に、養子たちが生物学的家族と再会できるよう手助けするプログラムも導入している。しかし、彼らはディーマーの母親について、何の情報も持っていないと答えた。 1998年、ディーマーは自らチリを訪れ、児童福祉施設や、自分の養子縁組を承認した家庭裁判所や生まれた病院などから手がかりを得ようとした。 しかし、どの機関も彼女が望む情報を与えてはくれなかった。結局、何の成果も得られないままチリを離れたが、それでも母親を見つけるのだという決意は固いままだった。 「チリから戻って、疑問に思うことがさらに増えました。ですが、実の家族により近づけたようにも感じました。私はただ、家族を見つけたかっただけなんです」

「生まれたばかりの我が子は盗まれたのです」

2002年の冬、ディーマーはあるドキュメンタリー番組について耳にした。その内容は、スウェーデンで養子となった2人の人物が、チリで血のつながった家族を探す過程を追ったものだった。 その少し前、彼女は、チリの国家児童サービスが母親の住所に関する情報を入手したという話を聞いていた。 ディーマーはこの新たな可能性に望みをかけて、チリのジャーナリストでドキュメンタリー番組の製作にも携わった、アナ・マリア・オリバレスに助けを求めた。 ディーマーの実母は、チリ中南部の小さな町に暮らしていると言われていたが、オリバレスは彼女の正確な住所を突き止められなかった。2週間にわたって何度も町を訪ねては、可能性のある家の扉を叩きつづけたものの、何の成果も得ることはできなかった。 チリの首都サンティアゴに戻らなければならなくなったオリバレスは、この地域に住んでいた自分の叔父に、その後の追跡調査を委ねた。そして2003年の1月、オリバレスの叔父はついに、ディーマーの養子縁組の書類に記載されていたのと同じ名前を持つ女性を見つけだしたのだった。 しかし、その女性はディーマーと直接会うことを拒んだ。当時、彼女はディーマーの父親ではない人物と結婚しており、実の子供ではない「娘」が突然現れることを夫が快く思わないだろう、と考えていたのだ。 それでも彼女はディーマーに、「あなたを手放すつもりはなかったことを知っておいてほしい」と強く望み、さらにこんな言葉を残した。 「生まれたばかりの我が子は盗まれたのです」

自分の養子縁組は「問題だらけ」だった

この一連の知らせを受け、ディーマーは深く苦悩した。スウェーデンの養父母が、善意で自分を養子に迎えたことは知っていた。しかし結果的には、彼らも騙されていたということになるのではないか──。 2003年3月、ディーマーはアダプション・センターの所長と会った。所長はディーマーに、母親たちは自分の子供を手放すことを恥ずかしく思うあまり、我が子は誘拐されたという空想を作りあげることが多い、と確信を持って話した。 当時、ディーマーはその説明に納得できなかったものの、それ以上追及することはしなかった。 「何を考えて、何を感じればいいのかさえわかりませんでした」と彼女は言う。「何年もたってようやく、思い切って疑問だった点をもう一度追及してみようと思ったんです」 2017年9月、ディーマーはチリ人のドキュメンタリー監督、アレハンドロ・ベガの映画を観ていた。映画では、主にチリの貧しい少数民族出身の女性たちが、国際養子縁組のために騙されたり強要されたりして、子供を手放さざるを得なかったことについて話していた。 そして2018年、続編を製作しようとしていたベガが、養子たちが集まるフェイスブックグループを通じてディーマーに連絡してきた。ベガはディーマーの希望を受けて、彼女の養子縁組に関する書類を見直していたところ、記載事項が間違いだらけなうえ、抹消されている項目があることを発見したのだ。 ベガはこうしたディーマーの書類から、彼女の養子縁組に根本的な問題があると確信した。 この知らせはディーマーを打ちのめした。「身体中が叫び声をあげているようでした」と、彼女は当時の心境を語る。 「身体が震えてきて、声をあげて泣きました」

https://news.yahoo.co.jp/articles/2e1baec06fd9d3119d8427f5511cbf4fa7b5e091?page=2

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